聖徳太子 のバックアップ差分(No.1)


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 [[し]]【しょうとくたいし:聖徳太子】
 #counter(today)
 
 *疑惑の多い聖徳太子~ [#n7d2baf4]
 -日本史の古代編で超人的ヒーローとして知られている聖徳太子。~
 政治家として十七条憲法や冠位十二階を制定し、日本初の女系天皇推古天皇を擁立し、古代日本を仏教により統一させ仏教伝来による最も古い建造物・法隆寺を建て、外交面では遣隋使を派遣し大陸文化を積極的に導入し文化的な変化ももたらした。~
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 -個人としても、摂政時代に一度に10人の話を聞き分けたというエピソードも残されている、まさにスーパーヒーロー。~
 -ところが、このヒーロー像は後の時代の人間によって作り上げられた架空の物だと近年判明してきた。~
 さらに極論では「聖徳太子という人物自体存在しなかった」という物まである。~
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 -聖徳太子について詳しく書かれている最初の文献が『日本書紀』なのだが、これは聖徳太子の没後約100年という時代に「これまでの日本の歴史をまとめておこう」と書かれた物で、それ以前はそんな事を考える人もなく、ましてや文字を書ける人間が限られていたために、リアルタイムで聖徳太子について書かれた文献は存在していない。~
 -しかも『日本書紀』は天皇中心の国家という前提で書かれているため、その周辺の人物に権威を持たせる事は十分に考えられる。~
 
 *誕生の逸話が国外の寄せ集め? [#a93b1625]
 -その架空とも思われる箇所は、聖徳太子誕生から見て取れる。~
 -幼少期は『厩戸皇子(うまやどのみこ)』と呼ばれていたとされ、その理由が「馬小屋で生まれた」という物。これはイエス・キリスト誕生と同じ。~
 -その誕生時に太子はすぐ言葉を喋ったとされているが、これは釈迦が生まれた時「天上天下唯我独尊」と語ったというエピソードと酷似している。~
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 -『日本書紀』が書かれた時代、海外からこのような話が多く渡ってきていた事は判明している。~
 
 *預言者・聖徳太子 [#qd104d77]
 -どうも聖徳太子死後100年頃に多くの捏造が行われたらしく、聖徳太子が書き記したという『未来記』『未然記』という2冊の預言の書もあり、そこでは死後100年後の姿が描かれているのだが、本当に預言の書だとしたらかなり当たっているという脅威の書物なのだ。~
 しかし残念な事に、100年後の日本の姿を克明に当てているのに、それ以降の預言はほとんど当たっていない。これなどは「聖徳太子の書」というふれこみで、その時代に書かれた物と思われている。~
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 -預言では7歳の時(異説では9歳)に敏達天皇(太子の叔父、推古天皇の夫)が、重臣、蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべのもりや)が討論をしているのを「お前はどっちが優秀だと思うか?」と何気なく聞いた際、太子は「蘇我は才が徳に勝ち、物部は気が徳に勝っており、気が勝つ物は早くに滅び、才が勝つ物は遅く滅びます、しかしどちらも滅びる事は防げません」と答えたという。~
 これなどは100年後の現状を知っている物なら、普通に書ける内容の預言なのです。~
 
 *関連項目 [#k8ff6103]
 -[[遣隋使]]
 
 *更新履歴 [#z194ba86]
 -2000.00.00
 
 
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