女子学生亡国論 のバックアップ(No.2)
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- 女子学生亡国論 へ行く。
- 1 (2007-02-15 (木) 21:16:47)
- 2 (2007-02-17 (土) 07:48:59)
し【女子学生亡国論】じょしがくせいぼうこくろん
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女子学生亡国論 †
- 1961(昭和36)年の流行語
- 1961年秋、早稲田大学の暉峻康隆教授が「私立大学の文学部はすでに女子学生に占領されており、いまや花嫁学校と化している」と発言。
そこから「女子学生亡校論」「亡国論」などが活発に交わされ、賛否両論となった。
- 文部省の統計で、この時期の女子大学生の人数が飛躍的に伸びた。
ジーパンの女子は出て行け †
- 1977(昭和52)年.05月11日:大阪大学文学部で「ジーパンの女子は出て行け」事件が怒りました。
- 今ではすっかり理解しにくなってしまった事件ですが、70年代はジーパンは非常識な若者のズボンという印象が強く、大阪大学文学部で非常勤講師をしていたフィリップ・ベーダ氏が「ジーパンの女の子は出て行け」と発言。
(女性はスカートという固定観念もあった)
その後、抗議の女子学生達が教室に押しかけ大混乱となり、25日ベーダが辞任する問題に発展した。