黒船 のバックアップ(No.1)


?:黒船(くろふね)

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黒船・初来日は浦賀じゃない

  • 1852年、ある日突然太平洋上から現れたペリー提督?が率いる四隻の黒船が浦賀に寄港し、日本に対して開国を要求したと、多くの人は思っているかもしれません。
    しかし、実際のことを言うと黒船はそれより前に3度も日本にやってきていたのです。

  • と言っても、当時は薩摩藩(現在の鹿児島県)が支配していた状態だった琉球(現在の沖縄県)に訪れていたのです。
    この時代の琉球は微妙な立場で、本来は独立した《琉球王国》だったのですが。悪く言えば日本の植民地的な扱いを受けていた状態でした。
    1853年に浦賀にやってきた時も、実は琉球経由で訪れたのです。

アメリカの基地

  • 実はアメリカ側には、まず琉球を押さえておく理由があったのです。

  • アメリカが日本に開国を迫った第一の理由には貿易と言う物以前に、蒸気船での航海路網を創り上げ、燃料・食料・の補給基地を必要としていたのです。
    日本へ黒船を向かわせたのは13代アメリカ大統領・フィルモアで、フィルモアは太平洋航海路網を完備しようと、ハワイを合衆国準州として取り込む事にも成功している。

  • 特に当時の蒸気船の燃料効率はまだ悪く(まだ石油ではなく石炭)、太平洋を渡る為には石炭の補給基地が各地に必要だったのです。
    そこで300年に渡って鎖国を続けている日本と言う国を無理矢理にでもこじ開ける為には、戦争を仕掛けなければいけないのではないか?と考えていたアメリカは、もしそうなった場合には、まず琉球を占領しようと狙っていたのです。
    とりあえずの補給基地としても役に立つし、日本と戦争をする場合でもその際の補給基地としては琉球は格好の場所で、貿易相手として狙っていた中国にも近いと言う利点があったわけです。

  • さらに、当時の琉球はあくまでも薩摩藩に支配され押さえつけられていると言うイメージがあったので、それから解放してやれば歓迎もされるのでは?と言う腹づもりがあったらしいのです。

  • その為に、ペリー提督は日本に本題をぶつける前哨戦として、琉球政府と何度も交渉をして、石炭倉の借り受け、航海の必需品自由売買、那覇港をアメリカ船の指定供給港にする事などを要求し、それを承諾させたのです。
    しかし、結果としてこの要求を実際に行うことはありませんでした。

あっさり開国

  • と言うのも、そこで足場を固めて本土・浦賀へ出向き交渉をした処、紆余曲折はあったもの日本幕府がその要求をのみ、日米和親条約が結ばれてしまったからなのです。
    そうなれば、日本の支配下にあった琉球も自動的に和親を結んだと言うことになって、アメリカと直に結んだ話は無くなってしまったのです。

  • さらに、アメリカ側がさらなる強行的な要求をしなかった背景には、この交渉の最中にアメリカ政府の政権が共和党(フィルモア大統領)から、民主党(ピアース大統領)へと変わってしまい、ペリー提督率いる黒船での日本侵略を支持しなくなってしまったからなのです。

  • それにしても独立している琉球王国は、勝手に日本に支配されたりアメリカに狙われ、結局第二次世界大戦以後は植民地化されたり、今に至るまで数奇な運命を辿っているのです。

更新履歴

  • 2001.07.05.知泉

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