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[[こ]]【こいのぼり:鯉のぼり】
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*何故、こどもの日、端午の節句に? [#xcddc5f4]
-鯉のぼりを立てると言うのは、もともと中国の故事がきっかけになっていると言われている。~
-鯉のぼりを立てると言うのは、もともと[[中国]]の故事がきっかけになっていると言われている。~
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-その昔、中国の楚の国で屈原と言う人物が批判され追いつめられたために、湖に身を投げて死んでしまうと言う悲劇があった。しかし、楚の人々は優秀で人望が厚かった屈原を哀れに思い、湖に沈んだ彼は鯉になったと考え、紙で作った鯉を奉ってその死を悲しんだのです。~
-その逸話が日本にも伝わり、室町時代には武運を祈ると言う意味で紙で作った鯉を奉るようになったのだが、それがいつしか半月状にしならせた長い布を張り、その先に付けるようになったのです。~
-その昔、中国の楚の国で屈原と言う人物が批判され追いつめられたために、[[湖]]に身を投げて死んでしまうと言う悲劇があった。~
しかし、楚の人々は優秀で人望が厚かった屈原を哀れに思い、湖に沈んだ彼は[[鯉]]になったと考え、[[紙]]で作った鯉を奉ってその死を悲しんだのです。~
-その逸話が日本にも伝わり、[[室町時代]]には武運を祈ると言う意味で紙で作った鯉を奉るようになったのだが、それがいつしか半月状にしならせた長い布を張り、その先に付けるようになったのです。~
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-最初は武家の男の子が、人望の厚かった屈原のような大人物になるようにと願って奉られたものだったのですが、それが江戸時代頃になると武家だけでなく一般的な町家でも、紙で作った鯉を竿に掲げるようになっていったのです。~
-最初は武家の男の子が、人望の厚かった屈原のような大人物になるようにと願って奉られたものだったのですが、それが[[江戸時代]]頃になると武家だけでなく一般的な町家でも、[[紙]]で作った[[鯉]]を竿に掲げるようになっていったのです。~
-江戸時代初期にはこの鯉のことを『五月鯉』と呼んでいたのですが、最初の屈原のエピソードは忘れられ、次第に「鯉は滝を登るほど勢いがよい」したがって「威勢のよい男の子に育つように」と言う理由で飾られるようになっていき、さらに滝をイメージさせる吹き流しまで考案され現在の形へとなったのです。
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-端午の節句とは、もともと旧暦の最初の「牛の日」を言っていたものですが、それがいつの頃からか、5月5日を祝う日と言うことに変化していったのです。~
-端午の節句とは、もともと旧暦の最初の「牛の日」を言っていたものですが、それがいつの頃からか、[[5月5日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=05/05]]を祝う日と言うことに変化していったのです。~
ちなみに5月5日を『[[こどもの日]]』として祝うようになったのは戦後のことです。~
*更新履歴 [#l4e4f2db]
-2000.07.26