吾輩は猫である のバックアップ(No.1)
わ?:吾輩は猫である(わがはいはねこである)
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1908年09月13日 『吾輩は猫である』のモデルの猫死去 †
- 夏目漱石の書いた『吾輩は猫である』は書かれてから100年近く経っている今でも愛読されている小説です。
この小説は1905(明治38)年から雑誌『ホトトギス』に連載され、1907(明治41)年に完成した物で、漱石の本格的作家デビュー作にして代表作となりました。
- この小説の中で「まだ名は無い」とされていた猫のモデルは、小説が書かれる前年の1904(明治37)年に夏目漱石宅へ迷い込んできたノラ猫だった。
漱石の夫人が大の猫嫌いだったために捨てにいくのだが何度捨てても戻ってくる。そんな猫を見ながら小説の構想を思いついたと言われている。
- その猫はエサを貰いつつも、漱石の家の飼い猫でなく自由に過ごしていたのですが、小説が完成した翌年、1908(明治42)年9月13日に漱石が猫が死んでいるのを発見したのです。
そこで夏目漱石は、漱石宅によく遊びに来て猫を可愛がっていた友人知人たちに『昨夜いつの間にか、裏のヘッツイの上にて逝去致し候』と猫の死亡通知を出した。
ちなみにこのノラ猫の事を漱石達は「ねこ」と名付けて呼んでいたそうです。
漱石自身はどちらかと言うと犬派だったと言われている。
豆知泉 †
- 『吾輩は猫である』に登場する『首縊りの力学』の原論文はネイチャー掲載のもの。----
更新履歴 †
- 2001.00.00.知泉