下着 のバックアップ(No.1)
- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- 下着 へ行く。
- 1 (2006-02-18 (土) 07:31:37)
- 2 (2006-02-18 (土) 07:32:18)
- 3 (2006-03-07 (火) 21:47:41)
し:下着(したぎ)
Counter: 9996,
today: 1,
yesterday: 0
下着の豆知泉 †
- 9月14日はメンズバレンタインデー?と言って、男性が女性に下着を贈る日。と下着業界が勝手に考えたがまったく定着していない。
- 19世紀ごろまでは、身体にぴったりした下着はつけないのが普通だった。
- 下着メーカー「B.V.D」は創業者の三人の名前(ブラッドリー氏、ボーヒス氏、デイ氏)から。
- 初めて西洋の女性用下着を手にしたのは、エロオヤジとして有名な豊臣秀吉。ポルトガル人の献上品に入っていたものだが、残念ながら、その後の使途・行方は不明。
- 1928(昭和3)年『3・15事件』の際、検挙した中のズロース着用女性党員を「女のくせにズロースをはきやがって」と罵り、拷問をくわえたという記録がある。
- 明治〜昭和初期にあったカフェーの女給は洋装だったが、まだ西洋式の下着を着ける習慣がなかったため、ある意味『ノーパン喫茶』だった。
- 1998年頃から若い女性の夏のファッションとしてキャミソールが流行り始めた。
それを一部の人々は「あんな下着で外を歩くなんて」と怒ったりするが、男もTシャツが下着だったりすることを忘れたりしている。
1932年12月16日 日本橋白木屋火事 †
- 1932(昭和7)年12月16日?に日本橋にあった白木屋百貨店(現在:東急日本橋店)の4階から出火した火事は、日本初の高層建築火災として記録されている。
この火事で死者14人、重傷者を21人も出すことになってしまうが、この事件以降、変わったことが1つある。
この火事で無くなった人の多くが女性だったのだが、当時の女性はまだ着物が多く、基本的にノーパンだった。その為に、白木屋の階下でクッションをひいて飛び降りられるようにしてあったにも関わらず、恥ずかしがって飛び降りることが出来ず、そのまま煙にまかれてしまった。
このことから、政府が女性にズロース(下着)の着用を呼びかけたと言う。
- しかし実際の事を云えば、この火事の時に下履きを履いていなかった為に… と言う事は当時の大手の新聞では一切触れられていない。
実際に白木屋火災で羞恥心が原因で多くの死んだ女性と言う証拠は何もないのです。
どうやら当時、三流のゴシップ新聞が面白半分に「死因は…」と書いた物が定説として残ってしまったようなのです。
- 実際に女性の下着が一般的になるのは、第二次大戦後の事です。
ズロースの定着 †
- 実はそれ以前から日本女性のズロース着用は、関東大震災の後にも叫ばれていた。
昭和9年5月7日の朝日新聞には「日本婦人にズロース無く門戸開放にすぎる」と言う意見が社説欄に掲載されており、一般への普及はまだまだ遅れていた。
着物にズロースをはく様になったのは、もんぺ着用が強制された太平洋戦争中からである。
- ズロースの語源・ドロワーズを西洋の女性が付けるようになったのは、14世紀末のフランスの宮廷婦人からで、それが広く一般に用いられるようになったのは18世紀の末だった。と言うことは日本では江戸時代の寛政年間にあたるころなので、日本も西洋もそんなに古くない時代までノーパンで過ごしていたと言うことになる。
1860年の新見豊前守一行の『航米目録』の中に「女性は股に白布の股凧(こはい)を服す」と書いて有るので、その時代にはそこそこ普及していたらしい。
日本女性として最初にズロースを着用したと思われるのは、明治4年にアメリカに留学した津田梅子(津田塾大学の創始者)たち5人の少女だとされている。