横井庄一 のバックアップソース(No.2)

[[よ]]【よこいしょういち:横井庄一】
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*1960(昭和35)年5月21日 グアムで元日本兵二人発見 [#v2b734cf]
-グアム島の密林の中で、戦争が終わったことを知らされず、15年も逃げ続けていた元日本兵、皆川文蔵一等兵(39歳)が発見され、保護される。~
-皆川一等兵の話によると、ジャングルの中には共に逃げ続けていた、伊藤正軍曹(39歳)もいるとの話で新たに捜索が始まる。~

*1960(昭和35)年5月23日 [#nab99101]
-伊藤正軍曹(39歳)が捜索により発見され保護される。~
-後日の記者会見によると、木の上で生活をしていたが皆川がそこから落ちて行方不明になり、必死にジャングルの中を2日間探し続けたとの事。~
-私がグアムで16年間(戦中含む)も逃げ生きながらえてこれたのも戦友皆川がいたからだ。もし皆川が死んだとなったら自分も自害するしかないと死を覚悟して、ピストルを握りしめた時に上空に米軍ヘリコプターが現れたと語った。~
-そのときは、アメリカ兵に殺されると観念したという。~

*1960(昭和35)年5月27日 [#a6f1f78b]
-日本ではすでに「戦後ではない」と言われていた時代で、二人の戸籍は戦死公報によって死亡とされていたが、この発見により厚生省が《戦死公報取り消し》という異例の措置をとった。~

*1960(昭和35)年5月28日 [#q79bc016]
-はれて「生きている日本人」と認められた二人は、アメリカ軍のチャーター機で東京の立川米軍基地へ到着し、1941(昭和16)年に日本を離れてから19年ぶりに日本の土を踏むこととなった。~
記者会見が開かれ、ジャングルの中で椰子の実や魚を捕って生き延びてきたことを報告。~
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-しかし、実はこのときグアム島の別の場所では、まだ日本兵3人が隠れて逃亡生活をしていた。~
-それは、この1960年からさらに12年後に発見されることになる横井庄一軍曹(この時点で44歳)を含む日本兵だったのです。~


*横井庄一軍曹発見 [#kdd32af1]
-1972年(昭和47)01月24日~
1960(昭和)年5月にグアム島で戦争が終わったことを知らずに逃げ続けていた日本兵が二人発見され大騒ぎになったのですが、まさかそれから12年後に、同じグアム島で逃げ続けていた日本兵が発見されるとは誰も考えていませんでした。~
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-1972(昭和47)年、日本では戦後どころか安保の波も沈静化し、万国博覧会が大盛況のうちに幕を下ろし、高度経済成長が叫ばれ、光化学スモッグやヘドロが社会問題となっていた時代に、グアム島でそんな日本の状況を知らずに戦争時代を続けて、隠れ逃げ続けていた日本兵が発見され大騒ぎになりました。~
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-1972(昭和47)年1月24日・グアム島の密林で戦争中から28年も隠れ続けていた横井庄一軍曹(56歳/愛知県海部郡富田村千音寺出身)が、現地の漁民によって発見されました。~

*1972年(昭和47)01月25日~ [#zee28206]
記者会見で、ジャングルの中に深さ3mもある横穴式住居を作り、その後投降勧告を呼びかける声も聞こえたが涙で無視し、木の実や魚を食べ生きながらえてきたと語った。~
-ジャングルに隠れ始めた時には2人の仲間もいたが、8年ほど前に二人ともなくなってしまい、それからは一人でひっそりと生きてきた。~

*1972年(昭和47)01月27日 [#z0121659]
-8年前まで一緒に生きてきた二人の遺骨を収容。~
志知幹夫氏(岐阜県大垣市出身)と中畠悟氏(広島県庄原市出身)と確認。~

*1972年(昭和47)02月02日 [#l07b5e1b]
-特別機に乗って、東京羽田空港に到着~
-軍事教育を受け育った横井庄一氏は「死して本土へは戻らぬ決意」で出かけて行ったという記憶がしっかりとあった為、第一声は「帰ってまいりました・・・恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」という物だった。~
この「恥ずかしながら帰ってまいりました」はその年の流行語となった。

*1972年(昭和47)11月03日 [#s70d3491]
-横井庄一氏(57歳)結婚

*小野田少尉 [#jdc9fe4f]
-実はグアム島で横井軍曹が発見されたと前後して、フィリピンの[[ルバング島]]でも山中に隠れている日本軍人が話題になっていた。
横井軍曹発見の約1年後の1973年2月に小野田少尉が保護されている。


*更新履歴 [#p2348c8f]
-1999.00.00

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