伊豆の踊り子 のバックアップソース(No.1)

[[い]]:伊豆の踊り子(いずのおどりこ)
#counter(today)
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*モデルの踊り子と遭遇した場所は [#z9ec14f6]
伊豆の踊り子と言えば、[[川端康成]]が書いた日本文学史に残る名作です。~
その内容は[[伊豆半島]]に[[旅行]]をした学生と踊り子の交流を描いたものですが、その踊り子にはモデルがいるらしいのです。~
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-川端康成が伊豆に旅行したのは、[[1918(大正7)年>1918年]]の事ですが、彼が郷里へと出した[[手紙]]によると、大正7年10月31日に伊豆半島の中心部にある[[温泉]]地・《[[修善寺]]:しゅぜんじ》にいたとされています。~
そこから《湯が島:ゆがしま》を経由して、11月2日に天城峠を越えて《湯の野:ゆのの》に到着すると言う日程だったみたいですが、主人公の学生が歩いたコースと川端康成が歩いたコースはほぼ同じなので、この間に踊り子に遭遇したと思われます。~
小説の中では湯が島へくる途中で、修善寺へと向かう彼女たち一行と湯川橋の近くで出会ったとされているので、それはほとんど事実なのではないかと考えられています。~
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-実は川端康成が旅先から郷里へと出した[[手紙]]には興味深い描写があります。~
最初、10月31日に出した手紙には『伊豆修善寺にて お陰様で昨夜当地へとつきました。思ったほどよい処ではありません。』と、何もない山奥の温泉地を嘆いています。~
しかし、それから2日後の11月2日に出した手紙の中では一転して『天城の峠道は実によい処です。京に帰るのがいやになります。』と、まったく違った事を書いていたりするのです。~
この極端な気持ちの変化があると言うのは、そこで心ときめくような踊り子との出会いがあったのであろうと想像できてしまうのです。~
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-しかし川端康成は直接、踊り子に出会ったと言うことは記録にも残してはいないので「多分、出会いがあったのであろう」と言う仮定しか出来ないのですが・・・。~
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*更新履歴 [#zd698c12]
-2001.05.15.知泉
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