リンカーン暗殺 のバックアップ(No.1)


?:リンカーン暗殺

Counter: 7864, today: 1, yesterday: 0

リンカーン暗殺

  • 1865年4月14日、アメリカ第16代大統領アブラハム・リンカーンがワシントンD.C.にあったフォード劇場で『われらがアメリカのいとこ(Our American Cousin)』というイギリス貴族遺産相続にアメリカ人の甥がからむ喜劇を観劇中、南部出身の俳優J.W.ブースに後頭部をピストルで撃たれ暗殺された。
    即死ではなかったため劇場向かいの民宿ピーターセンハウスに運びこまれた。しばらくの昏睡の後、エイブラハム・リンカーンは翌朝4月15日午前7時21分に死去した。

  • もちろん奴隷解放を宣言したリンカーンに南部出身のブースはよい印象を持っていなかったからだが、実はこの暗殺の5日前に南部軍を指揮していたリー将軍が降伏しており、南北戦争は事実上終結したとされた矢先の出来事だったのです。

  • ブースはリンカーンを暗殺した直後「先制者は常にこのように!(Sic semper tyrannis!)」とラテン語で叫んでバルコニーから飛び降り逃走を計った。
    飛び降りた時に脚を折ったらしいが、そのまま馬に飛び乗り逃げ切った。と思われていたが、4月26日バージニア州のギャレッツ・ファームで射殺遺体として発見されている。
    この死に関しては色々な説があり、追いつめられての自殺なのか、誰か別の人間の手で殺されたのかと謎を結論が出ないまま。

  • この件がニュースで報道された後「私が神の命に従ってブースを射殺したのだ」と主張する男が出現し、警察もその男を牢獄に入れたが脱走してそれきり姿を現さなくなってしまったために、さらに謎をよんでしまった。
    その為に、この暗殺はブースではなく共犯者は全員捕まっているが、さらにその後ろに黒幕がいたのではないか?と考えられるようになっている。

  • 共犯者はすべて逮捕され軍法会議に掛けられたとされている。
    デービッド・ヘロルド・・・・・・絞首刑
    ジョージ・アッツアーロット・・・絞首刑
    ルイス・パウエル(ペイン)・・・・絞首刑
    メアリー・サラット・・・・・・・絞首刑
    マイケル・オローリン・・・・・・終身刑
    サミュエル・アーノルド・・・・・終身刑
    サミュエル・マッド・・・・・・・終身刑
    エドマン・スパングラー・・・・・6年の懲役
    ジョン・サラット・・・・・・・・無罪

  • 絞首刑になったメアリー・サラットはアメリカの裁判の結果で処刑された女性の第一号となっているが、現在ではその裁判における公平性が問題視されており、暗殺には絞首刑になるほど深く関与していなかったのではと考えられている。

  • このリンカーン暗殺とは別の日に、同じ劇場で国務長官のウィリアム・シュアードもブースの仲間と見られる男に射殺されている。
    噂の一つとしては、当時の陸軍長官エドウィン・スタントンがリンカーンが考えていた穏健なアメリカ再建政策を阻止しようとしていた事から陰謀を企てていたという説もある。

  • リンカーンの長男ロバート・トッド・リンカーンは父アブラハム・リンカーンの暗殺現場に立ち会っているが、その後、ジェームズ・ガーフィールド大統領、ウィリアム・マッキンリー大統領の暗殺現場にも居合わせており。3人の大統領暗殺に立ち会ったという事になる。

サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ