ボストーク のバックアップ(No.2)
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- ボストーク へ行く。
- 1 (2006-03-23 (木) 23:46:51)
- 2 (2006-03-23 (木) 23:47:09)
- 3 (2006-03-24 (金) 23:21:21)
ほ【ボストーク】
わ?【わたしはかもめ:私はカモメ】
ち【地球は青かった】
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ボストークの愛称 †
1号 ケードル (杉) 搭乗員・ガガーリン
2号 オリョール (鷲) 搭乗員・チトフ
3号 ソーコ (鷹) 搭乗員・ニコライエフ
4号 ベルクート (鷲) 搭乗員・ポポヴィッチ
5号 ヤーストレプ(鷹) 搭乗員・ブイコフスキー
6号 チャイカ (鴎) 搭乗員・テレシコワ
私はカモメ †
- 1960年代はアメリカとソ連が、宇宙開発と言う名目でおたがいの技術を競い合っていました。
その中で1963(昭和38)年?.6月16日?にソ連のボストーク6号で女性として始めて宇宙に旅立った宇宙飛行士テレシコワ少尉は大いに騒がれました。
そのテレシコワが宇宙から送ってきた通信の最初に述べた「私はカモメ」と言う言葉は流行語にもなりました。
- しかし、多くの人が勘違いをしていたのですが、この「私はカモメ」と言う言葉は、テレシコワが宇宙から地球軌道上を周りながら述べた感想を、詩的に表現した物だったワケではありません。
実はソ連の宇宙船ボストークにはそれぞれニックネームが付けられていて「1号」「2号」などと呼ぶ代わりにこちらが使用されており、テレシコワが乗っていたボストーク6号は「カモメ/チャイカ」と呼ばれていたのです。
- つまり、テレシコワは地上との交信の際に「こちらはボストーク6号」と言う意味で「ヤーチャイカ/こちらはカモメ号」と言っただけなのです。
それをさらに日本語訳する時に「私はカモメ」などとしてしまった為に大いなる誤解を招いてしまったのです。
- 日本人女性として始めて宇宙を飛んだスペースシャトル搭乗員の向井千秋さんは、夫の万起夫氏が述べた「千秋は天女のようだ」と言う(かなり意味不明な言葉ですが)セリフから《私は天女》などと述べ、さらにその様なタイトルで講演活動をしていたりしました。
地球は青かった †
- ボストーク1号に乗り人類初の宇宙飛行士になったガガーリンの言葉も日本に届いた時に少し変更されて伝わって来ています。
ガガーリンと言えば《地球は青かった》と言うセリフだけが記憶に残っていますが、ソ連やアメリカ・ヨーロッパなどではそのセリフはさほど重要視されていません。
実はガガーリンが述べた感想は《地球は青かった、そして宇宙で周りを見渡してみたのだが、そこにも神はいなかった》と言う物で、日本と違って神の存在が重要視されている国では、後半のほうが有名なセリフなのです。
更新履歴 †
- 2000.00.00