ベーリング海峡 のバックアップソース(No.1)

[[へ]]【ベーリング海峡】
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-[[アラスカ]].[[ソビエト連邦]].[[ロシア連邦]]

*発見者はベリーング [#z1dab34c]
-北アメリカ大陸([[アラスカ]])とユーラシア大陸([[シベリア]]東端)を隔てているのはベーリング海峡です。~
この海峡の北は北極海、南は[[太平洋]]となっていることは、今では小学生でも知っていることですが、[[ヨーロッパ]]の人々が海に繰り出した大航海時代には謎の海域とされていました。~
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-季節を間違えれば[[氷]]に閉ざされる危険海域だったために、ワザワザこんな所を通ろうと誰もしなかったからです。~
ヨーロッパから太平洋に出るのには、北回りでここを通れば近いような気もしますが、当時の航海記録を見ると、アフリカ大陸を南下したり、南アメリカ大陸を南下して太平洋を目指しています。地球儀を見れば、ベーリング海峡を通ればかなり近いのですが…。~
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-この海峡が謎だった16世紀から17世紀ころに書かれた[[アジア]]の[[地図]]を見ると、想像だけで書かれたようになっており、便宜上伝説に出てくる「アニアン海峡」と言う名前が記載されていました。~
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-この不確かな部分を明確にすれば、アジアへ抜ける最短距離(北西航路)を確保できるハズだと考えた[[ロシア]]の[[ピョートル大帝]]は[[1725年]]に[[デンマーク]]出身のロシア人航海士ビタス・ベーリングに海域探査命令を出したのです。~
-ベーリングは[[1728年]]7月から6月にかけてカムチャッカ半島東海域の北側を航海探査しました。~
その結果、アジア大陸と北アメリカの間に確かに伝説通りに海峡が存在している事が判明したのです。~
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-しかし、発見された物の、冬場に海さえ凍ってしまうこの危険海域は利用するには厳しいと言うことで、人々は「やっぱりね」程度の感想しか持たずに、名前さえ付けられずに放っておかれたのです。~
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-ベーリングが探査してから50年も経った(当然ベーリングも亡くなっていました)[[1778年]]にイギリスの航海士ジェームズ・クック([[キャプテン・クック]])が第三期探査航海をした時に、この海域を訪れたのですが、その[[地図]]には名前が記載されていなかった為に何のためらいもなくクックは『ベーリング海峡』と書き入れたのです。~
それから、この海峡は発見者であるベーリングの名前を付けて呼ばれるようになったのです。~
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-と言っても、ここに先人が訪れなかったのか?と言うと、記録に残っているものでは[[1648年]]にデジネフという船乗りが、この海域に迷い込んでなんとか帰還したというものがあります。~
ベーリングより100年近く昔の話です。~

*更新履歴 [#l6169f40]
-1999.00.00

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