ビキニ環礁 のバックアップ(No.2)
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- ビキニ環礁 へ行く。
- 1 (2006-02-28 (火) 00:31:02)
- 2 (2006-04-27 (木) 06:35:57)
ひ【びきにかんしょう:ビキニ環礁】
ひ【びきにでー:ビキニデー】
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ビキニ環礁の豆知泉 †
- かのビキニ環礁は、繰り返し水爆実験が行なわれて来たので、現在は全部吹き飛ばされてしまい、今では何も残っていないただの海になっている。
- ビキニ環礁での原爆?実験の灰を浴びて日本人船員が被爆した事件。帰国後、乗員は直ちに入院、マグロなどはすべて廃棄処分とされたが、被爆した船・第五福竜丸は処分されず東京水産大学の練習船として払い下げられた。
※1976年老朽化により廃棄され、現在は江東区夢の島「第五福竜丸展示館」で見ることが出来る。
1954年3月1日 †
- 無線長・久保田愛吉さん(40)の談話
ちょうど午前4時ごろ水平線?上にかかった雲?の向こう側から太陽が昇る時のような明るい現象が3分ぐらい続いた。
約10分後、爆弾が破裂したような鈍い音も聞いたが、それから3時間すると粉のような灰が船体一面に降りかかった。その晩から調子が悪くなりメシも喰えない状態で、無理に酒を呑んでもまったく酔えなかった。
2日目あたりから幾分頭の痛い人も出てきた。3日目には灰のかかった皮膚が日焼け?したように黒ずみ、10日くらい経ってから水ぶくれの症状になった。
今のところ自覚症状は何もない(朝日新聞 3/16夕刊)
1954年3月14日 †
- 第五福竜丸が焼津港に帰港。
1954年3月16日 †
- 船員で中重傷の増田三二郎さん(28)と山本忠司さん(28)が東京大学で診察を受けた結果、原子病と確認される。
1954年3月17日 †
- 第五福竜丸の漁獲して来た魚は当然の事ながら現品を差し押さえられ販売中止処分。
しかし「原爆マグロ」の名前が出回り、関係ない漁船が漁獲したマグロまで売れ行きが悪くなり17日には仲買相場が半値にまで下がる。
- この日判明した事は、3月1日のビキニ環礁の水爆実験は第2回目で、これまでの数百倍大きい破壊力をもち、造った科学者たちの推定をも遥かに越えた物だったと言う。
1954年3月31日 †
- 第13光栄丸・明神丸などアメリカ水産庁が計算した危険水域の外にいた漁船の多くからも、相当量の死の灰が降り注いだ事を発表。
1954年4月6日 †
- アメリカ、第3回水爆実験を太平洋上で行う。
1954年4月17日 †
- 三崎港でカウント100以上の放射能が確認され不合格を認定されたマグロが土中に埋められた。
これで水爆実験による廃棄マグロは約1万9000貫。
1954年5月9日 †
- 原水爆禁止署名運動杉並協議会発足。
1954年5月16日 †
- 放射能雨が計測される。
日本各地の雨からビキニ水爆実験の影響による放射能を検出。
1954年9月23日 †
- 第五福竜丸の無線長・久保山愛吉氏、放射能症により遂に死去。
更新履歴 †
- 2000.00.00
- 2006.02.27:知泉