ハワイ のバックアップ(No.3)
- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- ハワイ へ行く。
- 1 (2006-02-25 (土) 08:38:57)
- 2 (2006-02-25 (土) 09:42:55)
- 3 (2006-03-04 (土) 08:35:24)
- 4 (2006-03-10 (金) 06:44:48)
- 5 (2006-03-26 (日) 09:53:18)
は:ハワイ
Counter: 10409,
today: 1,
yesterday: 0
ハワイの豆知泉 †
- ハワイの州花は、黄色のハイビスカス。
- 『ドリフタ−ズ?ですよ!全員突撃』のハワイロケで荒井注はフンドシ姿でワイキキビーチを走らされた。
これが今までの仕事で一番恥ずかしかったことらしい。
- ワイキキは100年ほど前、20世紀の初めはただの湿地帯で、タロイモ畑が広がっていた。
現在は砂浜が広がる観光地だが、20世紀初頭は湿地帯だった。アメリカとハワイ王国が合併した後の1920年代の後半、そこに入ってきたアメリカ人業者が「観光地になる」と判断し、土地改良をおこない砂浜に改造した。ワイキキの土地はイッキに30倍に跳ね上がったという。
サンドウィッチ→ハワイ †
- 実はハワイ諸島の昔の名前は《サンドウィッチ諸島》でした。
あのパンにハムなどを挟んで食べるサンドウィッチなのですが、これはこの諸島が1778年にキャプテン・クックによって発見された時、その時のイギリスの海軍大臣を務めていたサンドウィッチ伯爵の名をつけて《サンドウィッチ諸島》と呼んだのです。
(パンのサンドウィッチの語源とハワイの旧名サンドウィッチの伯爵は同一人物だと多くの本には書かれていますが、いくつかの本では代が違うと書かれている)
- では、それ以前から島に住んでいた人々はここを何と呼んでいたか?と言う問題もあるのですが、実はこの諸島には古来より4つの王国が存在していて、それぞれが争っていた為に元々、1つの諸島と言う概念が住民たちにはなかったのです。
その為に《サンドウィッチ諸島》と言う、島々を統括して呼ぶような名称は住民にも受け入れられず、自然消滅してしまったのです。(まだイギリス人なども移住していなかったので、地図上の島と言う認識しか、イギリス人にもなかった)
- その後、アメリカの捕鯨船が立ち寄った時、もっとも中心的存在だった島の名前が「ハワイ島」だった為に、その一帯を「ハワイ諸島」と名付けたのが、定着してしまったのです。
- ハワイとは、ポリネシア語で《神様のいる場所》を意味し、マウナケア、マウナロアと言う2つの活火山があるため、そう呼ばれていたとされている。
ハワイ出身力士 †
日本の国技と言われている相撲だが、最近はハワイ出身の力士から始まってトンガやカナダ・モンゴル出身の力士まで名を残しています。
しかし、その中でもハワイ出身の力士は早くから活躍して高見山などは親方にまでなっている。
何故、海外出身力士の中でハワイ出身の力士がいち早く相撲に参加していたのだろうか?
- 実は話は1914(大正3)年まで遡る。
この時代、日本は相撲を世界に広めようとすでにハワイ巡業などを行ったのです。
その頃、すでに日本人移民が生活していたハワイですが、それだけで相撲が定着するほど甘い物ではなかったのですが、この時の巡業に同行した三段目の若い下っ端力士三人がハワイの地が気に入ってしまい「オラたちはもう東京には帰りたくねぇ」と脱走してしまったのです。
その後二年間、日系人の家にかくまわれた形で過ごし(食費が凄かったと思うけれど)、そしてついに市民権を獲得したのです。
- 3人の内の《袖ヶ浦:そでがうら》はマウイ島でレストラン?を開業し大成功を納め、さらに3人でハワイで相撲教室を開いてその知名度アップに貢献したのです。(もちろん日系人が多くいたと言うことも成功の理由だと思います)
その為に、相撲は戦前からハワイに根付いて、現在に至っていると言うわけなのです。
アメリカに取り込まれたハワイ †
- 最初はハワイ島は1875(明治8)年にハワイ王朝カラカウア王がアメリカの協力をえて砂糖産業を発展させようと関税条約を結んだのですが、その時にアメリカは船の燃料補給地としての契約を結んできました。
- 当時アメリカは捕鯨を行っており(と言っても日本人のように、クジラのすべてを使用すると言うワケではなく、脂とヒゲなどを採取して、あとのほとんどは廃棄していた)その為に、太平洋の途中に燃料補給・船体修理の基地が必要だったのです。
このハワイとの契約の50年ほど前から捕鯨で太平洋を航海していたアメリカ船は多く、かのジョン万次郎が太平洋にある鳥島(伊豆七島の1つ)に漂着していた所を助け出したアメリカ船も捕鯨船でした。
- それが次第に軍事色が濃くなって行く中で、最初の契約どころではなく、アメリカ海軍のアジア・ミクロネシアなどへの最前線基地として、軍の貯炭地・軍艦修理港としてハワイの大きな湾を独占使用し(真珠湾)始めたのです。
6月11日 カメハメハ・デー(アメリカ合衆国ハワイ州) †
- 1794(寛政6)年にハワイ全島の統一を成しとげたカメハメハ大王の誕生日/1794年6月11日。
関連項目 †
- ポリネシア人?・ダイヤモンドヘッド・パールハーバー:真珠湾
記載記録 †
- 2000.06.17:ハワイ出身力士:知泉