スイカ のバックアップ(No.3)
- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- スイカ へ行く。
- 1 (2006-03-24 (金) 23:22:18)
- 2 (2006-04-07 (金) 17:49:55)
- 3 (2006-07-02 (日) 08:48:56)
す【すいか:西瓜】
Counter: 22273,
today: 1,
yesterday: 0
スイカの豆知泉 †
- 江戸にスイカが入ったのが江戸時代の1662年だが、スイカの中身が赤いことから「生首を想像させる」という事で、当初はあまり好まれていなかったらしい。それから数10年後には庶民が食べ始め、大名なども食べ始めるようになったので、書物には「西瓜、大立身なり」と書かれている。
- スイカが今のように甘くなったのは明治時代以降、日本の農業関係者が品種改良で作りあげた物。中国では甘さが少ない事からスイカに砂糖をかけて食べる事が多い(トマトにも)。日本では逆に塩をかけて甘さを引き出す手法が生み出された。
- スイカに砂糖をかける作法は戦国時代末に中国より伝えられており、飛喜百翁という人物が千利休を招いた折にスイカに砂糖をかけたという記録が残されている。
しかし、利休は砂糖のかかっていない部分だけを食べ「百翁はおもてなしというものをしらない。スイカにはスイカのうまみがあるのに、茶人らしからぬふるまいだ」と語ったと言う逸話が残されている。
- 西瓜は漢音では「セイガ」、呉音では「サイカ」と呼ぶ。ついでにペルシャ語では「ヘンダワネ」と呼ぶ。
- スイカの切り売りを考案したのは、1975年大坂羽曳野市の出荷組合。
- スイカの雑学として「スイカ表面の縞模様の下に種が並んでいるのでそこを着ると種を取り出しやすい」という物があるが、これは俗説。
- 標準的な6キロ程度のスイカにある種の数は800〜1000個。
原産地 †
各国でのスイカ †
- 中近東や中央アジア、ロシア南部などでは食用という感覚でなく、水の代用品として発達した。
渡来 †
- エジプトでは4000年前から栽培され、中国には12世紀に到着した。
- 日本には16世紀、1579(天正7)年?に、ポルトガル人がカボチャと同時に種子を長崎に伝えた。
- 寛永年間(1624-1643)渡来説、慶安年間(1648-1652)に隠元禅師が中国から携えてきた説もある。
- もっとも古い記録では僧義堂(室町時代の五山僧 1388年没)「空華集」の中にスイカと思われる記述があり、さらに鳥羽僧正(1053-1140)の「鳥獣戲画」でウサギがスイカそっくりの果物を持っている。
7月27日 スイカの日 †
- スイカの縞模様を綱にたとえ、27を「つ(2)な(7)」(綱)とよむ語呂合わせから7月27日に決まりました。
スイカの種を食べると盲腸になる? †
- 昔から「スイカやブドウの種を吐き出さないで呑み込むと盲腸になる」と言うことが言われ続けています。
そもそも盲腸というのは、まず虫垂の粘膜リンパ組織が肥大する事によって、狭くなった虫垂に老廃物(いわゆる消化済みの食物)や回虫などが挟まれて、細菌感染を起こして腹痛を引き起こす物です。
- 確かに、手術をしてみると肥大した虫垂に種などが引っかかってそれが原因で腹痛を引き起こしている事もあるらしいのですが、基本的にたまたま種が引っかかったと言うダケで、種が盲腸の原因ではありません。
- 実はこれは親などが子供に食事マナーを教える意味で「種は出す物」と言う事を教訓めいた話をつけて言い出したのが始まりらしいのです。
種なしスイカの種? †
- 種なしスイカと言っても、その種なしスイカを栽培する為に播く種は市販されています。
生物の細胞組織にある染色体には、二倍体・三倍体・四倍体などの倍数の形になっています。この中で、バナナなどが三倍体の植物ですが、花粉がついて大きくなっても種が出来ません。
この原理を応用したのが種なしスイカなのです。
- 普通のスイカは二倍体なので、それを化学物質で処理して四倍体のスイカを作ります。さらにこの四倍体のスイカと普通の二倍体のスイカを交配すると、三倍体の種が無いスイカの種ができるワケです。
この種から育ったスイカは当然の事ながら種ができないワケです。
更新履歴 †
- 1998.00.00