ギロチン のバックアップソース(No.2)

[[き]]【ギロチン】
#counter(today)


*1792年04月25日 フランスでギロチンが実用化される [#v53544fe]
-[[1792年]].[[4月25日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=04/25]]:[[フランス]]でギロチンが正式に処刑道具として認められました。
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-もともと、処刑の時には、槍で突く、火で焼くなどの方法を取られていたのを見て「苦しまずにひと思いに」と言う「処刑者の苦しみを軽減する」と言う理由で内科医ジョゼフ・ギヨタン氏(パリ大学医学部の教授も務めていた)が、1789年12月の三部会に第三身分として出席した時に提案した物でした。~
と言ってもギロチン氏が作ったものではありません。~
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-このギロチンが採用されたこの時代はちょうど、フランス革命が成功した時で、多くの王族などの処刑者がいた時で、毎日何百人もの人が処刑されていました。~
そこで、内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンが受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも全ての身分が同じ方法でできるような「単なる機械装置の作用」により行なうよう議会で提言し、その案が採択されました。~
外科医のアントワヌ・ルイが設計の依頼を受けて、各地の断頭台を研究し、刃を斜めにするなどの改良を加えました。~
当初は、設計者のルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」とか「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていましたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨチーヌ(Guillotine)」という呼び名が定着しました。~
※ギロチンと言うのは、それのドイツ語読みです。~
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-しかし、当初は「受刑者の痛みを軽減させる」という人道上の理由でギヨタンが提案したものですが、結果として大量に簡単に処刑できるということで、恐怖政治のシンボル的に扱われるようになってしまいました。~
その為に、自分の名前が付けられてしまったギロチンを提案したギヨタン博士は死ぬときまで心を痛め憤慨していたと言います。~
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-見せしめ的な意味も多かったと思われますが、これによって国王[[ルイ16世]]と王妃[[マリー・アントワネット]]も処刑されています。~
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-雑学系文献では「このギロチンの発明者でもあるギロチン氏も、最期は自らの作ったギロチンによって死刑になった」などと書かれている物もあるそうですが、それは事実ではありません。
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-フランスでは[[1981年]]9月に死刑が廃止され、それとともにギロチンの使用もなくなりました。

*ギロチンとマダムタッソーの蝋人形 [#n24ccf99]
-その処刑後、さらに見せしめとしてさらし首にした…というのは日本の処刑と同じなのですが、実はフランスは「できるだけ長くさらし首にしたい」と考えたのです。しかし生ものの首はすぐに腐ってしまう。~
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-その時、処刑待ちリストの中に蝋人形をつくる職人がいる事を発見したフランス政府は、処刑赦免と引き替えに処刑された人間のリアルな首人形をつくる事を命じたのです。~
その蝋人形職人はフランス革命の処刑者が一掃され仕事が無くなった後、処刑赦免されイギリスに渡りそこで「マダム・タッソー(Marie Tussaud/1760/12/01〜1850/04/16)」と名乗りロンドンで多くの蝋人形をつくる職人として有名になったのです。~
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-その「マダム・タッソーの蝋人形館」は現在もロンドンの観光名所になっています。~



*更新履歴 [#a05e9704]
-1999.00.00

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