ガリレオ のバックアップ(No.1)


人名か【ガリレオ・ガリレイ】

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地動説の科学的な証明

  • 16世紀(1543年)にコペルニクスが《地動説》を理論上ながらも唱えていたワケですが、それもキリスト教全盛のヨーロッパ社会においては抹殺されてしまうような異端の説でした。
    あくまもで私たちが立っている世界(大地)が中心で、その周辺を太陽が巡っていると言うものがの意志だと言うわけです。

  • その中で、17世紀初頭の1610年、天才とも呼ばれたガリレオと言う男が自作の望遠鏡に向けて観測を始めていた。
    キリスト教的な考えでは、神の住んでいる星々の世界を望遠鏡でのぞき見ると言うことは失礼な話で、聖職者達はその行動を非難したと言います。

  • それでも観測を続けたガリレオは、木星に4つの衛星が存在する事を発見し、その姿から「やはり地動説は正しかった。あの木星と私の立っている大地は同じような姿をしているに違いない」と確信を持ったのです。→地球
    しかしコペルニクスの書いた論文が正しいということは、これまで聖書に書かれていた事が間違いだったと言うことを認めることになってしまうので、科学者と同時に敬虔なクリスチャンだったガリレオは激しく葛藤をするのです。

  • そこでガリレオは、「コペルニクスが考えた世界と聖書の中の世界が両立できる説を立証できないものか?」と模索を始めるのです。
    しかし、そんな都合の良い結果は導き出せず、結局、1616年にローマ・イエズス会の異端審問を受けなければならなくなってしまいました。

  • この時はなんとか切り抜けたもの、ガリレオはキリスト教会にとっては、要注意人物としてマークされる事になってしまったのです。
    そして、その次に出版した『天体対話/1632年発行』と言う本が、キリスト教会の怒りを買ってしまいます。

『天体対話』

  • 本の内容は、地動説を唱えるコペルニクス派のフィレンツェ貴族と、古い考えにしがみついた頑固者のアリストテレス派シンプリチオという学者が会話をしている物で、それをヴェネツィアの貴族が聞いていると言う構成の物で、この三人の架空の人物が会話をして、最終的に地動説が証明されるという、一般向けに解りやすく書かれた本でした。

  • この解りやすい内容から、多くの人に受け入れられたのですが、それがキリスト教会としては面白くなかった。そこで教皇ウルパヌス八世が「この本はキリスト教を侮辱するばかりでなく、ここに描かれている頭が固いが最後は言い負かされてしまうシンプリチオという学者は教皇をモデルに書かれたものだ」と難癖を付けたのです。

  • さらに、この本を出版したランディーン社のマークは『三匹の』だったのですが「この三匹の魚というのは、現在キリスト教会で高い位置に着いている教皇の三人の甥の事を著しており、それを批判する意味だ」と、とんでもなく関係ない部分までイチャモンを付け始めたのです。
    1633年、すでに70歳になっていたガリレオは病床にあったのですが、無理矢理法廷に出廷させられたと言います。

それでも地球は回っている

  • 1632年にガリレオは、コペルニクスが提唱した《地動説》理論を学術的に裏付ける内容の本を出版したのですが、その内容が《聖書を冒涜する・教皇などを批判している》と言う理由で裁判にかけられ、有罪になりました。

  • 今では地球がひとつの惑星で太陽の周りを回っていると言うのは、当たり前の話ですが、この時代には荒唐無稽で、何よりも神様が七日間で創り上げたハズの世界ではないと指摘されているワケですから、宗教の力が強かった時代の判決としては有罪は当然だったのです。
    その罪によって、ガリレオが今後出版することを禁止し、さらに著述する事も禁止し、自宅禁固の刑を言い渡した。

  • その裁判の席でガリレオは裁判官に問いつめられ「これは事実ではないのだな」と言われた時に《それでも地球は回っている》と述べたとされています。
    このエピソードは、真実を見つめ続け、考えを曲げないガリレオの反骨精神がよく現れた名言して、多くの人に知られているのですが、実はこんな言葉は言ってはいません。

  • この《それでも地球は回っている》と語ったと言うエピソードが初めて文献に記されたのは、その裁判から120年も経た1754年の事で、それが正しいのか、間違っているのかを自供してくれる人はいっさい残っておらず、これが本を面白くするために多くの伝記本で行われている脚色だったのではないか?と考えられています。
    もし、その裁判の時にガリレオが《それでも地球は回っている》と述べた場合、ガリレオの刑罰は自宅禁固程度では終わらなかったと思われています。

ガリレオの豆知泉

  • 科学者ガリレオは「地動説」で有名。彼がそれを決定的に論証づけたのは潮汐現象によってだが、それ自体はまったく「地動説」とは関係なく誤りだった。

  • コペルニクスの書いた科学史的に貴重な本は最初全然話題にならず、1543年に初版が発行されたが、第2版は23年後の1566年、第3版は第2版から51年後の1617年。
    どうやら第3版の出版は、ガリレオが唱えた《地動説》が話題になった為に、出版社が「今裁判で話題になっている本」と言うことで急遽再版したものらしい。

更新履歴

  • 2000.00.00
  • 2001.03.25
  • 2001.06.22
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