オルガン のバックアップ(No.1)
お?【オルガン】
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《ヤマハ》と《河合》 †
- 日本の古くからの楽器メーカーと言うと《ヤマハ》と《河合》がすぐ思い浮かびますが、実はこの二つのメーカーはルーツが同じです。
- それは日本の学校教育法が明治19年に改正された時に話はさかのぼります。
- その改正で小学校教育に唱歌が必須科目となり、各学校がオルガンを購入したのですが、この時代はすべて輸入物で、国産でオルガンを作れるなどと誰も考えていませんでした。
- そんな中、静岡県浜松にあった《浜松尋常小学校》にも念願のオルガンが導入されたのですが、米一斗が1円の時代に、45円もするとあってその高価な事や物珍しさから連日見物人が訪れるという騒ぎでした。
- しかし、使われ初めてからたった三ヶ月でこのオルガンが壊れてしまったのです。
そこで元々武士だったのですが、明治時代になり手先の器用さで時計の修理職人をしていた《山葉寅楠:やまはとらくす》に修理以来の話が来たのです。 - 和歌山県出身の山葉寅楠はその時、たまたま浜松病院などの医療器具の修理のために浜松に滞在していたのです。
《山葉寅楠/和歌山県/1851.05.20→1916.08.06》
- 山葉寅楠はそのオルガンをあっさり修理してしまったのですが、それと同時にその構造を頭にたたき込み、「これなら自分で作ることが出来る」と考えたのです。
- そこで仲間として、手先の器用な飾り職人だった《河合喜三郎:かわいきさぶろう》と手を組み、試行錯誤をしつつ、たった60日で日本初の国産オルガンを製作したのです。
- そのオルガンを東京まで運び、音楽取引所に持ち込んだのですが、このオルガンには致命的とも言える重大な欠点がある事が判明してしまったのです。
- 確かに音が出るのですが、元々音楽の素養などない山葉寅楠と河合喜三郎が作ったオルガンは、全然調律されておらず、ただ単に鍵盤が右にいくほど徐々に音程が高くなると言う代物だったのです。
- そこで山葉寅楠は一生懸命、調律の勉強をし、その後ちゃんと音階の正しい第二号オルガンが誕生したのです。
この事がキッカケで、浜松には「ヤマハ」と「河合」と言う二大楽器メーカーが誕生することになったのです。
更新履歴 †
- 20001.04.12