オーストラリア のバックアップ(No.5)


?:オーストラリア(Australia)

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オーストラリア/Australia

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     首都:キャンベラ
   独立年月:
     面積:7,741×1,000平方キロ
     人口:18.97×100万人
   主要言語:英語
  国民総生産:397,345×100万ドル
1人当りGNP:20,950×ドル
   通貨単位:オーストラリア・ドル

オーストラリアの豆知泉

  • 当然の事ながらオーストラリアの不動産広告での決まり文句は『北向き・日当たり良好』と書かれている。

  • オーストラリアはオランダ人タスマンに17世紀に発見され「新オランダ」と言う意味のニューホーラントと名付けられ、それとは知らないイギリス人クックに18世紀に発見されイギリスの地名を取って「新南ウェールズ」と言う意味のニューサウスウェールズと名付けられた。

  • オーストラリアの選挙投票率は平均96%以上。と言うのも棄権すると50豪ドル(約3500円)の罰金が科せられるので。

  • オーストラリアの地名はラテン語で昔から言われていた南海に漂う幻の大陸「テラ・アウストラリス」から取られている。

オーストラリアの発見

  • オーストラリアと言う大陸は、あれだけの大きさがありながら長いこと幻の大陸と言われていました。
  • その存在は紀元前のギリシャ時代からささやかれていました。古代から「アトランティス大陸」や「ムー大陸」などの伝説で言われていたのがオーストラリアではないか?と言う説もあります。
  • ギリシャ時代には、地球のバランスの問題からも北半球にユーラシア大陸があるのだから、南半球にも絶対大きな大陸がなくてはいけないと言われていました。

  • 時代が過ぎ、大航海時代と言われた16世紀に強大な勢力を持っていたポルトガルスペインがまだ未開の南半球を征服しようと、大々的な探検隊を派遣したのです。
    しかし当時の帆船の力では、南東貿易風に阻まれれて、どうしても南下する事が出来ずに、探索は失敗に終わってしまいました。

  • さらに時代が過ぎ、17世紀1602年にオランダの東インド会社が設立してアジア貿易を始めました。そして、さらなる貿易地を開拓しようと、東インド会社は存在のハッキリしていない南方の大陸を再び探索しはじめたのです。
  • その中でオランダ人航海士が幻と思われた大陸に辿り着いたと言う報告をしたのです。そこは現在のオーストラリア北部から西部にかけての海岸でした。
  • その報告ではいまいち場所がハッキリしなかった為に、東インド会社は信頼のおける航海士アベル・ヤンスゾーン・タスマンに探索を依頼したのです。
  • そして南半球にタスマンが辿り着き、とある島を発見したわけで、そこに彼は自分の名前をつけて『タスマニア』としました。ここはオーストラリア大陸の南東に浮かぶ島です。

  • タスマンはその島の南岸を周航して東に向かいニュージーランドの西岸に到着しました。ここを目指していた大陸だと思ったのですが、タスマンはそこの先住人とトラブルを起こし、最終的に攻撃から命からがら逃げてきたのです。
  • その為に、東インド会社にはタスマンの『大陸はあったが、荒涼とした土地と、野蛮な先住民がいるだけで貿易には向いていない』と言う報告がされたのです。もともと貿易相手を捜していた東インド会社には南半球の大陸は商売先としての価値が無いと判断をされ、それ以降はまったく無視された場所になってしまったのです。
  • その後、オーストラリア・ニュージーランドが独立した大陸と島だという事が判明し、多くの人が移住する事になるのは18世紀の航海士キャプテン・クックの登場を待たなくてはならなかったのです。

オーストラリア建国記念日

  • 1788年1月26日、オーストラリアに最初の移民団が上陸しました。
    植民地を開くために送られたイギリスのアーサー・フィリップ海軍大佐と1,030人の流刑囚たちで、当初はポタニー湾へしようとしましたが、原住民が攻撃するなど条件が悪かったため、ポートジャクソン湾(現在のシドニー)に上陸しました。

記載記録

  • 2000.11.05:知泉

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