ウナギ のバックアップ(No.6)


?【うなぎ:鰻】

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うなぎの語源:1

  • 語源:1
    もともとは「むなぎ」と呼んでいた。
    むなぎとは『胸黄』のなまった物で、ウナギの胸部が淡黄色を帯びているところから、そう言われた。

  • 語源:2
    ムは「身」を意味し、ナギは「長い物」を意味していると言う説もある。

ウナギの豆知泉

  • に居るウナギはすべてオス。ウナギは雌雄同体の生物で川に上がってくる時はオスで、へ下りた時にメスになり産卵する。

  • ヌルヌルしているウナギにも実はウロコがある。しかしそれは皮膚の下にうずもれていて、しかも顕微鏡で見ないと分からないほど小さく退化している。

  • ヤツメウナギはウナギの仲間ではない。もっと不当表示はマナガツオで漢字で書くと『真魚鰹』で「真のカツオ」だが、カツオでは無くイボダイの仲間。

  • 電気ウナギはウナギの仲間ではなくて「」の一種。

  • 「うなぎ」はスペイン語で「アンギラス」。(特に稚魚)

  • 鰻重と鰻丼の違いは、重箱を使うかを使うかだけである。

  • ウナギの旬は。無理して旬を外れた夏場の「土用の鰻」を食べることはない。

  • 土用は年に四回ある。立夏・立秋・立冬・立春前の18日間。

  • 土用のウナギの考案は平賀源内
    と言われているが、元ネタは万葉集・大伴家持の和歌「石麻呂に吾もの申す夏やせに良しというものぞむなぎとりめせ」。

  • 平賀源内が夏には脂だけで美味しくも何ともないウナギを売るために万葉集を引用して宣伝をしたと伝えられる。この文献は今読めるのは興津要氏のものが最も古いが、文献もないし、信頼できるか疑問であるとはっきり書いている。

  • 1690年の『東海道名所記』に蒲焼きを売った記述があるが、店が出来るのは安永〜天明(1772〜89)の頃。文化年間(1804〜18)、芝居小屋主の大久保今輔が鰻好きだったが、冷めないように糠に入れるのが嫌で、熱い飯と一緒に入れて来いと命じた。これが鰻丼の始まり。

  • 蒲焼きというのは、元々胴切りにしたものに串を刺して丸焼きにした形が蒲の穂と似ていたから。

  • 開いて焼くようになると、上方では腹から、江戸では背中から開いた。江戸は武士が多く腹を切るのを嫌ったため。更に江戸では一度蒸すことで脂分を飛ばし、江戸好みのあっさり味にして人気が出た。

  • イギリス王ヘンリー1世はヤツメウナギの食べ過ぎが原因で死んだ

  • ウナギの血液は神経毒イクチオトキシン(熱分解性)を含むので、刺身で食べると危険。ついでに生のウナギはさほどおいしくない。

  • ウナギの産卵場所はまだ判っていない。


  • うなぎは中世のヨーロッパではと混同されて『人類の敵』とされた。(蛇はイブをたぶらかした悪役)

  • 成長するに従って名前が変わる魚を出世魚と呼ぶが、実はウナギもレプトケファルス→シラス→クロコ→キウナギ→下りうなぎと成長に伴い呼び名が変わる。

うなぎパイの豆知泉

  • 浜名湖銘菓うなぎパイの箱が赤いのは『夜のお菓子』というフレーズにふさわしい、まむしドリンクのイメージを模倣したためである。発売当初は浜名湖をイメージした水色だったが、ウケがイマイチだったので現在の色に変更した。

  • 16世紀のスペイン王・ドイツ皇帝・カール5世の好物は「うなぎパイ」。と言っても浜松名物ではなく、本当にウナギを使ったパイ料理。

  • フィリパ・ピアスが書いた小説「水門にて」の中にもヨーロッパの料理としての「うなぎパイ」が出てくる。

うなぎの知識

  • 有名な歌人大伴家持が「万葉集」に「岩麻呂に吾申す、夏痩せに良しという物そむなぎ(ウナギ)漁り食せ」と言っている様に、古くから栄養のある食べ物として重宝がられていた事が解る。

  • ウナギは真夏の暑い時期、土用「丑の日」に食べるのが健康に良いというのはよく知られているが、天然のウナギは秋にからに下る「くだりもの」が太って味がよい。

土用の丑の日

  • 夏の暑い盛りにある『土用の丑の日』には何故ウナギを食べるのか?
    土用の丑の日は「丑」という字にちなんで、その昔は牛のように黒いものを食べる日とされていたのです。

  • なぜ黒いものかというと、ふなこいなまず?、うなぎ、しじみ?なすびなど色の黒いものにはビタミンAが豊富に含まれていて、暑さで激しく体力を消耗してしまう夏にこれらを食べると元気が出ると言うことを昔の人は経験的に知っていた為と言われています。
    さらにウナギには消化吸収のよいタンパク質脂肪が多く含まれているので体によい事ずくめです。

  • この日を「うなぎの日」と決定づけたのは、江戸時代の平賀源内といわれています。
    彼は知り合いのうなぎ屋に「真夏でも客がくるようにアイディアを考えてくれ」と頼まれ、「土用の丑の日はうなぎの日」というキャッチコピーを考えたわけです。
    これがいつしか定着し、この日はうなぎを食べる日と言う習慣ができあがってしまったと言われています。

ウナギは何故、生で食べない?

  • 以前は西洋人には嫌われていましたが、その微妙な味が分かる魚の食べ方として『刺身』という調理法があります。

  • しかし、ウナギはなぜ刺身で食べず、ほとんどの場合が蒲焼きなのでしょうか?
    実はウナギの血液の中にはイクシオトキシンという人体にとって有害な物質が含まれているのです。
    その物質がに入ると結膜炎を起こし、傷口に付着すると炎症を起こし、から摂取した場合は嘔吐や中毒症状におそわれ、大量に摂取した場合には死亡することもあるという恐ろしいものだったりします。

  • しかし、この毒は熱に非常に弱く、火を通しただけで毒性は失われます。
    きれいに血を洗い流してしまえば問題はなく刺身で食べることも出来るのですが、長年の研究の結果、ウナギは現在のような食べ方が一番おいしく、同じように毒物を持っているフグなどと違って食べたときにピリっと来るような刺激もないので、あえて危険を冒してまで刺身で食べる必要がないために、刺身は存在しないのです。

  • ちなみにフグの毒はテトロドトキシンといいます。

ウナギの一生は謎が多い

  • ウナギは旨いが高いと言うイメージがありますが、それもそのハズで、ウナギは完全養殖が出来ないのです。
    もしウナギを人口孵化から育てる事が出来るようになったら、その値段もぐんと下がると思うのですが、現時点では孵化どころか、その誕生の瞬間でさえ解明されていない部分が多い。

  • ウナギは淡水の川やに住んでいますが、産卵時期に限ってはサケとは逆に、に出かけていきます。
    その海と言うのも日本近海ではなく、東経140度・北緯16度前後の南洋で、それも5月〜6月の新月の日に産卵する。と言う事がだいたい解っているのですが、そこから先は謎が多いのです。

  • なんと言っても産卵場所が、海の底、それも水深500mより深い場所(一説によると2000mまで潜るとも)だったりするので、調査団も未だにその産卵シーンを目撃する事が出来ません。
    その南海の海底で誕生したウナギは[プレレプトケファルス][レプトケファルス]という幼生での成長を経ながら徐々に日本へ近づいて来るのです。

  • 誕生してから約2年半、ちょうど季節は、シラスウナギと呼ばれる稚魚に成長した頃、やっと川にたどり着きます。

  • いわゆる「養殖物」と呼ばれるウナギはこの段階で捕獲されて、その後1年半ほどで食卓に上がるまで育つのです。その時、捕まえられずに川で成長したウナギは、さらに数年後、産卵の為にふたたび海へ戻っていくのです。

ウナギのメスはどこに?

  • 実は基本的に川で捕獲され食卓に上るウナギはほとんどオスです。
    では、メスはどこに居るのか?もしかしたら種族保存の為にメスは捕まえてはいけないのか?と言うと、意外なメカニズムが存在しています。

  • 実はウナギは、成長の過程でオスになったり、メスになったりする雌雄同体の生物だったのです。
    海から川に登ってくる頃、ウナギは雄性生殖腺が発達してオスに変身し、そこでしばらくするとウズウズとメスの本能が出てきて海へ戻り、海に戻った頃にはメスに変身していて、南海までイソイソとタマゴを産みに出かけるのです。

  • ともかく、何気なく食べているウナギには謎が多く含まれているのです。

熟語『うなぎ登り』

  • 急激に上昇する事を言う。

  • ウナギは川底から水面にあがってくるとき、ほとんど垂直に上がってくる事から、急上昇する事を意味するようになった。

  • もう一つの説では、ウナギはヌルヌルしていて掴みにくい。
    掴んだかと思ったらぬるりと上へ逃げだそうとする。逃がしてなるものかと、また掴む、しかしウナギも慌ててさらに上へ逃げる。
    とこの繰り返しをしていると、次第にウナギが上へ逃げていくのでその様を言ったのだと言う説もある。

うなぎ関連項目

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