そば のバックアップ(No.2)
そ【そば:蕎麦】蕎麦(01)
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そば・誕生花・花言葉 †
- 09月24日:ソバ………………懐かしい思い出
- 11月01日:そば………………あなたを救う
ソバの語源 †
- この言葉の語源は食べ物として練って切られた状態のソバしか知らない人には理解できない物です。
- 麺になる以前、植物として生えている状態のソバは、実も葉も三角形をしている。この形から「角」と言う意味の《稜:そば》と言う言葉が当てられたのだと言われています。
この《稜》には「山の稜線」などに使われるように『険しく角張った形』と言う意味がある。
- この言葉が元になったものとして『耳をソバだてる』と言う物があるが、これも耳をピンと張って聴くと言う意味です。
- しかし、別の解釈として元々角張っている物のことを「ソバ」とは言わず、ソバの実が角張っていることから角張っている事を「ソバ」と呼ぶようになったと言う、まったく逆の説もあります。
- 卵が先か… ニワトリが先か… と言う状態なのです。
そばの豆知泉 †
- 江戸時代のソバは8寸(約26cm)もある長い物だった。
というのも、ソバの入った蒸籠を畳の上に置き、お猪口を手に持った状態で食べたので、この長さでも大丈夫だったのです。
それが近年はテーブルの上に蒸籠をおいて食べることが当たり前になってしまったので、長さはそれに見合った短い物になってきたのです。
歴史 †
- ソバの歴史は古く、奈良・平安時代には備荒作物と言って、一般の作物が不作だった場合に供えて栽培されていました。
実は、作物が不作だった時こそソバが生育しやすい条件だったりするのです。
そばの栽培は、山岳地帯や寒冷地などの、あまり肥沃ではない土地が適していると言われています。
- そばは一年生の草本で、茎は中空で赤味を帯びて、葉は三角形をしています。
花はほとんど白です(淡紅白もあり)。
ほとんど乾燥した土地でもよく発育し、生育が速く、2・3ヶ月で結実し、しかも土質を選ばず、養分を吸う力も強いので、どんなにやせた土地でも十分に実ります。
逆に、越えた土地に植えると、倒れやすくなったりしてあまり良くありません。いわゆる甘えっ子に育ってしまうのです。
そんな理由もあり、一般的な作物が不作な時こそソバの出番だったのです。
- 大昔のソバは粉にした物を練ってそれを食べていました。
現在のように細長く切って麺として食べるスタイルが登場したのは慶長年間(1596年〜1615年)だと考えられています。
このスタイルが定着したのは江戸で、この江戸時代初期は江戸という街が発展途上で、あちこちで工事が盛んに行われていて全国から労働者や職人が集まり、そこで簡単に安く食べられる食品ということで甲州(山梨県)や信州(長野県)からそば粉が大量に入ってきて、労働者たちに歓迎された事に始まります。
- この当時のソバは、細く切った物を蒸し上げた物で、いわゆる盛りそばで、汁につけた物では無かったようです。
- 江戸時代末期に書かれた『守貞漫稿(もりさだまんこう)』と言う随筆の中では「だし汁かけたるを上略して掛(かけ)と云ふ」とわざわざ記されているように、江戸末期になってかけそばが一般的に成ってきたみたいです。
その随筆の中には、細かく揉んだ海苔を乗せた『花巻:はなまき』や、狐の好物だと言われる油揚げを乗せた『きつね』などが紹介されている。
- さらに、かけそばの具として「上に焼玉子、かまぼこ、椎茸、クワイの類」をのせた食べ方を『しっぽく』と呼ぶと出てきます。
- 内容的には現在の『おかめ』と呼ばれる物に近いのですが、呼び名は中国の食事スタイルを表す『卓袱料理:しっぽくりょうり』から取られています。
これは江戸時代中期以降に中国趣味が流行したことによる命名だと考えられます。
- 『鴨なんばん』と言う食べ方も紹介されているが、これは大阪や吉野地方でネギのことを渡来植物と言う意味で『南蛮:なんばん』と言っていたことから、鴨肉と葱を乗せたものを指しています。
- 十返舎一九が書いた『東海道中膝栗毛』の中では、五条新地の娼家で出されたそばとして『かちなんば』と言う物が書かれている。
これは餅の事を「カチンカチンになる」と言うことから《餅:かちん》と呼んでいたことから、ネギの入った雑煮形式のそばの事を指しているみたいです。
毎月最後の日は蕎麦の日 †
- 1983年「日本麺類業団体連合会」が毎月最後の日は「蕎麦の日」にしようと決定した。
そして12月31日・大晦日は「蕎麦の日」の締めくくりになる。
更新履歴 †
- 1998.00.00
- 2000.03.05(語源.追記)