種子島 のバックアップソース(No.2)

[[た]]【たねがしま:種子島】[[鹿児島県]]
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*1543年8月25日 種子島に鉄砲伝来 [#v63b9166]
-[[1543(天文12)年>1543年]].[[8月25日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=08/25]]、当時、大隅の国種子島と呼ばれていた種子島に異国の船(中国国籍)が漂着した。~
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-それに乗っていたのはポルトガルの商人で、彼らは多くの品を持っていたのだが、その中から種子島領主をしていた《島津時堯:しまづときたか》は二挺の火縄銃を2千両という大金で購入した。~
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-そのはじめてみる兵器の威力を目の当たりにした島津時堯は、腰を抜かす程驚いたのだ。~
頼りなさげな細い筒なのに、そこからは[[カミナリ>雷]]の様な光と轟音が発せられ、遠方にあった岩をうち砕いたのだから無理もない。~
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-島津時堯は購入後、使い方から作り方までを学び、さらに購入した二挺の火縄銃を家臣に研究させ、さっそく翌年には国産の火縄銃を完成させてしまうのです。(この辺りがいかにも日本人的)~
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-時はちょうど、[[戦国時代]]に突入する直前の[[室町時代]]末期、ここから合戦の方法もがらりと変わっていき、一対一の[[武士]]の儀礼的な武士のメンツにこだわる人よりも、最新の武器を導入した[[織田信長]]が勝ち戦をすることになるのです。~
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-その後日本でも鉄砲を量産するようになったのだが、その為に火縄銃の事は後々まで「種子島」と呼ぶようになった。~
-鎖国をしていた日本にある意味で新しい世界への門戸を開いた種子島だが、現在はここにある宇宙開発センターより[[宇宙]]への扉を開こうとしている。~


*種子島・火縄銃の豆知泉 [#n291bcb8]
-[[梅毒]]は日本には[[1512年]]に種子島に漂着したポルトガル人によって伝えられたと言われている。~
同じく種子島に鉄砲がやってくる30年も前の話。~
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-点火してから発射するまで時間の掛かる火縄銃ですが、それを考慮し、火縄銃を持った兵士を2列・3列に並ばせ1列が撃っている最中に次の列が点火して準備すると言う方式を考え出したのは[[織田信長]]。~
-その為にも海外でもこの方式を《ノブナガ・トーナメント》と呼ぶ

*更新履歴 [#a7d7c31c]
-1998.00.00

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