越路吹雪 の変更点


 #ref(http://tisen.jp/tisen/jk/kosijihu003.jpg,around,nolink)~
 [[こ]]【越路吹雪】こしじ・ふぶき(歌手)~
 [[こ>こ:女性]]【越路吹雪】こしじ・ふぶき(歌手)~
 誕生日:[../hbd/query.php?KeyDate=1924%2F02%2F18/ 1924(大正13)年02月18日]~
 出身地:東京市麹町区麹町~
 血液型: 型  ~
 本 名:河野美保子→内藤美保子 ~
 学 歴:長野県立飯山高等女学校(中退)→宝塚音楽歌劇学校   ~
 所 属:    ~
 備 考:    ~
 死 去:1980年11月07日/享年56
 [紅白歌合戦出場15回]
 
 
 &size(10){[[[TOPPAGE>http://tisen.jp/]]]};~
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 | この項目は未完成です。加筆・訂正を各人の責任の元に行って下さいませ。 |
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 -東芝電力勤務の父・友孝と母・益代
 -兄弟は兄・姉・本人・弟・妹という5人の真ん中
 -父親の仕事の関係で幼少時より転勤が多かった。
 
 **───1936(昭和11)年(11〜12歳)──────── [#u3423c49]
 -長野県立飯山高等女学校に進学、寄宿舎に入る。
 
 **───1937(昭和12)年(12〜13歳)──────── [#fc3541e2]
 -学校嫌いで仮病などで休みながら、家の中で歌い踊る娘を見て、父親が「女学校は中退して宝塚に入らないか?」と提案。
 -1937年04月:宝塚音楽歌劇学校に入学
 
 **───1938(昭和13)年(13〜14歳)──────── [#oc17533f]
 
 **───1939(昭和14)年(14〜15歳)──────── [#o795f6a3]
 -1939年04月:宝塚歌劇団の一員になり「越路吹雪」の芸名を名乗る。
 -「宝塚花物語」で初舞台を踏む
 -同期に[[乙羽信子]]・[[月丘夢路]]などがいる。が、あまり上に立とうという欲がなく練習もさぼりがちだったという。
 
 **───1940(昭和15)年(15〜16歳)──────── [#v67caabd]
 
 **───1941(昭和16)年(16〜17歳)──────── [#e61faded]
 -1年後輩の[[谺春香]]、2年後輩の[[久慈あさみ]]・[[淡島千景]]・[[南悠子]]らが入ってきて大きな役を演じはじめた頃、やっと奮起して勉強を熱心に始めることとなる。
 
 **───1942(昭和17)年(17〜18歳)──────── [#y59ebb46]
 -1942年:舞台「ピノチオ」で「チョコレートの兵隊」をソロで歌う
 
 **───1943(昭和18)年(18〜19歳)──────── [#v7b3c357]
 -1943年:舞台「母なる仏塔」で初の主役
 
 **───1944(昭和19)年(19〜20歳)──────── [#u1b84f4f]
 -1944年03月:戦争の激化により大劇場が閉鎖、劇団員は移動慰問隊にかり出されるようになる。
 
 **───1945(昭和20)年(20〜21歳)──────── [#e584b981]
 -1945年08月15日:第二次世界大戦・終戦
 
 **───1946(昭和21)年(21〜22歳)──────── [#h05e32da]
 -1946年04月:大劇場の公演が再開。
 -音楽もジャズが解禁され、6月に「メキシカーナ」チボオ役、「ミモザの花」アンドレ役でジャズを取り入れた歌唱を披露し、さらにシャンソンもレパートリーに取り入れる。
 -「赤頭巾と王子」王子役、「センチメンタル・ヂャアニー」ビル役
 
 **───1947(昭和22)年(22〜23歳)──────── [#o8ee28b4]
 -「ファイン・ロマンス」アルマン役、「マノン・レスコー」ファビアン役
 
 **───1948(昭和23)年(23〜24歳)──────── [#h87117eb]
 -「レインボーの歌」トミー役、「ハリウッドに栄光あれ」エルマー役、「再び君が胸に」コルナー役
 
 **───1949(昭和24)年(24〜25歳)──────── [#u908ac94]
 -「ブギウギ巴里」、「ハムレット」ハムレット役、「思ひ出の薔薇」ルネ役、「カルメン」カルメン役、「懐かしのアリゾナ」リューク役、
 
 **───1950(昭和25)年(25〜26歳)──────── [#k15944bf]
 -「モナミ」マルセル役
 -この年の春頃、宝塚のスターだった[[淡島千景]]・[[乙羽信子]]・[[久慈あさみ]]などが退団し映画界に入った事がキッカケで、越路も退団の意志を劇団に告げるが特例として在籍のまま外部出演を許可する「フリー契約」となる。
 -1950年10月:映画&color(#ff0000){「東京の門」};
 -1950年12月:映画&color(#ff0000){「エノケンの天一坊」};
 
 **───1951(昭和26)年(26〜27歳)──────── [#k67df7b4]
 -1951年02月:帝劇ミュージカル第1回公演「モルガンお雪(菊田一夫.作)」主演
 -1951年08月:舞台「マダム貞奴」
 -1951年08月:宝塚歌劇団を脱退し、東宝と専属契約。
 -1951年:舞台「お軽と勘平」
 -1951年11月:映画&color(#ff0000){「哀愁の夜」};
 -1951年12月:映画&color(#ff0000){「結婚行進曲」};
 
 **───1952(昭和27)年(27〜28歳)──────── [#xe7ed911]
 -1952年01月03日:[[第07回紅白歌合戦]](初)ビギン・ザ・ビギン~
 本来は松島詩子が紅白に出演する予定だったが直前に代役として初出演が決定した。
 -1952年:日劇ショー「リオの黒ばら」~
  この時、将来結婚することになる内藤法美と出会う
 -1952年03月:映画&color(#ff0000){「おかる勘平」};
 -1952年05月:映画&color(#ff0000){「金の卵 Golden Girl」};
 -1952年05月:映画&color(#ff0000){「三等重役」};
 -1952年:舞台「美人ホテル」榎本健一と共演
 -1952年11月:映画&color(#ff0000){「足にさわった女」};
 -1952年12月:映画&color(#ff0000){「七色の街」};
 -1952年12月:映画&color(#ff0000){「あゝ青春に涙あり」};
 -この頃俳優.真木小太郎とつきあい結婚を夢みるが後に破局~
  ※真木小太郎は[[マイク真木]]の父親
 
 **───1953(昭和28)年(28〜29歳)──────── [#a71f6866]
 -1953年01月:映画&color(#ff0000){「吹けよ春風」};
 -1953年02月:映画&color(#ff0000){「午前零時」};
 -1953年04月:映画&color(#ff0000){「プーサン」};
 -1953年04月:映画&color(#ff0000){「安五郎出世」};
 -1953年11月:映画&color(#ff0000){「愛人」};
 -1953年12月:映画&color(#ff0000){「次郎長三国志 第六部」};
 -1953年12月:映画&color(#ff0000){「女心はひと筋に」};
 -1953年12月12〜13日:ヤマハホール・リハーサル
 
 **───1954(昭和29)年(29〜30歳)──────── [#o91244df]
 -1954年01月:映画&color(#ff0000){「次郎長三国志 第七部」};
 -1954年02月:映画&color(#ff0000){「美しき鷹」};
 -1954年05月:映画&color(#ff0000){「夏祭り落語長屋」};
 -1954年06月:映画&color(#ff0000){「次郎長三国志 第八部」};
 -1954年08月:映画&color(#ff0000){「恋愛特急」};
 
 **───1955(昭和30)年(30〜31歳)──────── [#m06fb3a9]
 -1955年01月:映画&color(#ff0000){「男性No.1」};
 -1955年01月:映画&color(#ff0000){「恋化粧」};
 -1955年02月:映画&color(#ff0000){「お笑い捕物帖 八ッあん初手柄」};
 -1955年02月:映画&color(#ff0000){「まごころの花ひらく」};
 -1955年04月:映画&color(#ff0000){「青春怪談」};
 -1955年05月:映画&color(#ff0000){「麦笛」};
 -1955年09月:映画&color(#ff0000){「姿なき目撃者」};
 
 **───1956(昭和31)年(31〜32歳)──────── [#qe87cdaf]
 -1956年01月:映画&color(#ff0000){「へそくり社長」};
 -1956年01月:映画&color(#ff0000){「花嫁会議」};
 -1956年03月:映画&color(#ff0000){「続へそくり社長」};
 -1956年09月:映画&color(#ff0000){「逢いぞめ笠」};
 -1956年12月:映画&color(#ff0000){「踊る摩天楼」};
 -1956年12月31日:[[第07回紅白歌合戦]](02)哀れなジャン
 
 **───1957(昭和32)年(32〜33歳)──────── [#yea7e8a0]
 -1957年02月:映画&color(#ff0000){「次郎長意外伝 灰神楽の三太郎」};
 -1957年03月:映画&color(#ff0000){「次郎長意外伝 大暴れ三太郎笠」};
 -1957年03月08日:TVドラマ「かわいそうな手(NHK)[[スターショー]]」
 -1957年06月:映画&color(#ff0000){「サラリーマン出世太閤記」};
 -1957年:ミュージカル「金瓶梅(東京宝塚劇場)」高嶋忠夫と共演
 -1957年:新派「曽根夫人の黒眼鏡(飯沢匡.作)」~
   歌わずとも他を圧倒させると川口松太郎を圧倒させる
 -1957年:舞台「バスストップ」
 -1957年10月:映画&color(#ff0000){「一本刀土俵入」};
 -1957年12月:映画&color(#ff0000){「次郎長意外伝 大暴れ次郎長一家」};
 -1957年:テアトロン賞第4部ミュージカルレビュー大衆演劇部門受賞
 -1957年12月31日:[[第08回紅白歌合戦]](03)愛の涙
 
 **───1958(昭和33)年(33〜34歳)──────── [#fb001685]
 -1958年01月:映画&color(#ff0000){「社長三代記」};
 -1958年04月:映画&color(#ff0000){「東京の休日」};
 -1958年08月22日:TVドラマ「[[一日限りの冒険]](NHK)」
 -1958年12月31日:[[第09回紅白歌合戦]](04)マプティットフォ−リ−
 
 **───1959(昭和34)年(34〜35歳)──────── [#o284f1ab]
 -1959年02月18日:TVドラマ「[[白いろまねすく]](NTV)ヤシカゴールデン劇場」
 -1959年03月:映画&color(#ff0000){「続・社長太平記」};
 -1959年03月20日:TVドラマ「[[雪解け]](NHK)」
 -1959年:ミュージカル「浅草の灯」
 -1959年:舞台「女は占領されない(三島由紀夫.作)」~
 三島由紀夫、曰く「西洋的豪華と、お茶漬け的哀愁と、豊麗な女性的魅力と、…そういう相反するものを一身に備えたスター」
 -1959年10月:映画&color(#ff0000){「夜を探がせ」};
 -1959年11月〜 :TVドラマ「[[新三等重役]](NET)」
 -1959年11月20日:編曲家の内藤法美と結婚
 -1959年12月31日:[[第10回紅白歌合戦]](05)パリ カナイユ
 
 **───1960(昭和35)年(35〜36歳)──────── [#red742ac]
 -1960年01月01日:ミュージカルドラマ「[[明日の虹]](NHK)」
 -1960年01月04日:TVドラマ「[[のんき夫婦]](NTV)夫婦百景#87」
 -1960年04月:映画&color(#ff0000){「ぼんち」};
 -1960年05月15日:TVドラマ「[[声]](NTV)」
 -1960年07月:映画&color(#ff0000){「夜の流れ」};
 -1960年07月:映画&color(#ff0000){「大学の山賊たち」};
 -1960年12月31日:[[第11回紅白歌合戦]](06)うちへ帰るのがこわい
 
 **───1961(昭和36)年(36〜37歳)──────── [#w4ed29d9]
 -1961年01月04日:TVドラマ「[[マダムは夜歩く]](NTV)ヤシカゴールデン劇場」
 -1961年02月11日:TVドラマ「[[たった一度の逢いびき]](TBS)グリーン劇場#19」
 -1961年04月16日:TVドラマ「[[危険な関係]](NHK)テレビ指定席」
 -1961年05月11日:TVドラマ「[[紅茶は右手]](NTV)決定的瞬間#19」
 -1961年:ミュージカル「香港」
 -1961年:舞台「花と野武士」7代目松本幸四郎追善公演
 -1961年06月:映画&color(#ff0000){「サラリーマン弥次喜多道中」};
 -1961年07月:映画&color(#ff0000){「続サラリーマン弥次喜多道中」};
 -1961年08月27日:TVドラマ「[[天使と未亡人]](NHK)テレビ指定席」
 -1961年:TVドラマ「[[世界一周]](NTV)日立ファミリー劇場」
 -1961年12月31日:[[第12回紅白歌合戦]](07)ラスト・ダンスは私に
 
 **───1962(昭和37)年(37〜38歳)──────── [#s65910b4]
 -1962年01月15日:TVドラマ「[[天冠婚葬祭夫婦]](NTV)夫婦百景#193」
 -1962年01月20日:TVドラマ「[[星に行った女]](NHK)テレビ指定席」
 -1962年03月31日:TVドラマ「[[喪われた街]](NHK)テレビ指定席」
 -1962年04月01日:TVドラマ「[[探偵女房]](TBS)東芝日曜劇場#278」
 -1962年11月25日:TVドラマ「[[冬の感情]](TBS)東芝日曜劇場#312」
 -1962年12月31日:[[第13回紅白歌合戦]](08)新土佐節
 
 **───1963(昭和38)年(38〜39歳)──────── [#xd6d0329]
 -1963年01月11日:TVドラマ「[[にっぽん製]](NHK)文芸劇場#56」
 -1963年04月16日:TVドラマ「[[男嫌い]](NTV)」
 -1963年05月19日:TVドラマ「[[砂の上]](NHK)」
 -1963年10月06日:TVドラマ「[[文鳥]](TBS)東芝日曜劇場#357」
 -1963年12月:映画&color(#ff0000){「お姐ちゃん三代記」};
 -1963年12月31日:[[第14回紅白歌合戦]](09)ラストダンスは私に
 -1963年:この年、東宝を離れフリーとなる。
 
 **───1964(昭和39)年(39〜40歳)──────── [#n9fdd790]
 -1964年01月〜 :TVドラマ「赤穂浪士(NHK)大河ドラマ」
 -1964年02月:映画&color(#ff0000){「男嫌い」};
 -1964年04月:映画&color(#ff0000){「ああ爆弾」};
 -1964年05月08日:TVドラマ「[[ラストダンスを私に]](NHK)NHK劇場」
 -1964年07月25日:TVドラマ「[[アトミックのおぼん]](NTV)日産スター劇場」
 -1964年08月16日:TVドラマ「[[この道を私も通る]](TBS)東芝日曜劇場#402」
 -1964年08月24日:TVドラマ「[[銅婚式]](NTV)夫婦百景#329」
 
 #ref(http://tisen.jp/tisen/tvg/1964-12-25.JPG,around,nolink)~
 -1964年12月25日「[[TVガイド>TVガイド1964]]」表紙~
 -1964年:「ミュージックフェア(フジ)司会者」
 -1964年12月31日:[[第15回紅白歌合戦]](10)サン・トワ・マミ−
 #clear
 
 **───1965(昭和40)年(40〜41歳)──────── [#q2878a88]
 -1965年:ミュージカル「王様と私」市川染五郎と共演
 -1965年09月11日:TVドラマ「[[未亡人と四人の紳士]](NTV)日産スター劇場」
 -1965年10月:映画&color(#ff0000){「大冒険」};
 -1965年10月:第10回リサイタル~
   劇団四季の浅利慶太プロデュースで日生劇場で開催
 -1965年12月:[[レコード大賞]]歌唱賞「ワンレイニーナイトイントーキョー」
 -1965年12月31日:[[第16回紅白歌合戦]](11)夜霧のしのび逢い
 
 **───1966(昭和41)年(41〜42歳)──────── [#w7953f59]
 -1966年03月10日:TVドラマ「[[わたしの事情]](NTV)」
 -1966年04月:映画&color(#ff0000){「バンコックの夜」};
 -1966年11月22日:TVドラマ「[[晩酌女房]](NTV)夫婦百景#383」
 -1966年12月31日:[[第17回紅白歌合戦]](12)夢の中に君がいる
 
 **───1967(昭和42)年(42〜43歳)──────── [#id0a29ed]
 -1967年:ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」森繁久弥と共演
 -1967年12月31日:[[第18回紅白歌合戦]](13)チャンスがほしいの
 
 **───1968(昭和43)年(43〜44歳)──────── [#eec2fc57]
 -1968年:舞台「台所太平記(谷崎潤一郎.作)」
 -1968年07月:第14回リサイタル、日本初の11日間の長期公演
 -1968年:芸術祭激励賞大衆芸能部門受賞
 -1968年12月31日:[[第19回紅白歌合戦]](14)イカルスの星
 
 **───1969(昭和44)年(44〜45歳)──────── [#n7641615]
 -1969年:ミュージカル「結婚物語(日生劇場)」平幹二朗と共演
 -1969年:舞台「さよならチャーリー」
 -1969年:第15回リサイタルから1ヶ月連続という驚異の長期公演となる
 -1969年10月07日:TVドラマ「[[うちの女房の場合は]](MBS)テレビスター劇場」
 -1969年12月31日:[[第20回紅白歌合戦]](15)愛の賛歌~
  この回を最後に紅白歌合戦出場を辞退し、TVなどの仕事を撤退し、舞台や歌だけに絞る。
 
 **───1970(昭和45)年(45〜46歳)──────── [#re2ff06b]
 
 **───1971(昭和46)年(46〜47歳)──────── [#l9d2c335]
 -1971年:リサイタルを「ドラマティック・リサイタル」と称し「愛の賛歌〜エディット・ピアフの生涯」を上演。
 -1971年「世界のワンマンショー(日本ではNHKで放送)」日本人では初の出演
 -1971年:芸術祭優秀賞・大衆芸能部門
 
 **───1972(昭和47)年(47〜48歳)──────── [#l540a907]
 -1972年:ミュージカル「アプローズ」
 
 **───1973(昭和48)年(48〜49歳)──────── [#y601a102]
 -1973年:ミュージカル「メイム」~
 公演3日目に肋骨2本を折る事故に遭遇し代役として雪村いづみが舞台に立つ
 
 **───1974(昭和49)年(49〜50歳)──────── [#u695ab18]
 
 **───1975(昭和50)年(50〜51歳)──────── [#n4e2376f]
 
 **───1976(昭和51)年(51〜52歳)──────── [#m45c9a1b]
 -1976年:「ビッグショー」
 
 **───1977(昭和52)年(52〜53歳)──────── [#n88d86d5]
 -1977年:ミュージカル「結婚物語」細川俊之と共演
 
 **───1978(昭和53)年(53〜54歳)──────── [#se394519]
 
 **───1979(昭和54)年(54〜55歳)──────── [#w37bd4d6]
 
 **───1980(昭和55)年(55〜56歳)──────── [#kdd8b3eb]
 -1980年03月04日〜28日「日生劇場」でのリサイタル~
 1953年に始まったリサイタル53回目、そして最後となった。
 -1980年06月「古風なメロディー(西武劇場)」米倉斉加年と共演
 -1980年07月08日:目黒の共済病院で胃潰瘍の手術~
   その後、3度の入退院を繰り返した。
 -1980年11月07日午後3時2分/胃ガン/享年56~
   戒名は乗法院越路妙華大姉位
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