#ref(http://tisen.jp/tisen/jk/amin001.jpg,around,nolink)~
[[あ>あ:グループ]]【あみん】
-[../hbd/query.php?KeyDate=1962%2F01%2F29/ 1962年01月29日]
[[岡村孝子]](おかむらたかこ)歌手~
愛知県岡崎市[O型]岡村→石井→岡村孝子~
娼山学園大学国文科中退
椙山女学園大学国文科中退
-[../hbd/query.php?KeyDate=1963%2F01%2F02/ 1963年01月02日]
加藤晴子(かとうはるこ)歌手~
愛知県豊川市[-]加藤晴子~
娼山学園大学卒業
椙山女学園大学卒業
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| この項目は未完成です。加筆・訂正を各人の責任の元に行って下さいませ。 |
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-高校時代に[[さだまさし]]の「雨やどり」を聴いた岡村孝子が「いつかこんな曲を作りたい」と考え、作詞作曲を始める。~
大学時代に友人の加藤晴子と女性デュエット『あみん』を結成。~
このグループ名も、さだまさしの曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」に出てくる喫茶店「安眠:あみん」から取られている。
**───1981(昭和56)年────────────── [#v6ad816d]
-第22回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)出場~
「琥珀色の想い出」中部北陸大会で優秀曲賞
**───1982(昭和57)年────────────── [#nc3a2de8]
-第23回ポピュラーソング・コンテストのグランプリを受賞。~
地味な女の子が恋愛に掛ける堅い決意を歌った曲として、多くの女性から支持を受ける。
-1982年12月31日:[[第33回紅白歌合戦]](初)待つわ
**───1983(昭和58)年────────────── [#a8c59978]
#ref(http://tisen.jp/tisen/jk/amin002.jpg,around,nolink)~
-2枚シングルをリリースしたが、デビュー翌年の1983年に音楽活動を停止し、普通の大学生活に戻る
-1983年12月00日:Album「メモリアル」を最後に活動停止
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**───1984(昭和59)年────────────── [#q43214e2]
**───1985(昭和60)年────────────── [#k2214966]
-1985年10月19日:岡村孝子がソロ歌手として再デビュー。
**───1986(昭和61)年────────────── [#z5b5c26e]
**───1987(昭和62)年────────────── [#zce0b6b4]
-1987年:当初は岡村孝子には常に「元あみん」という肩書きがついていたが、徐々に支持する人が増え、1987年「夢をあきらめないで」で多くの人に認められるソロ歌手となった。~
この曲は多くの人に勇気を与え、プロ野球選手の石井浩郎も新人時代に肝炎を患って落ち込んでいる時に励まされたという。~
そしてコンサートを見に行った先で知り合い、岡村孝子と結婚する事となった。 (後に離婚)
**───2006(平成18)年────────────── [#l375e5e7]
-2006年春:さだまさしが作詞した岡村孝子の「銀色の少女」に加藤晴子がコーラスで参加
-2006年12月16日:あみん24年ぶりに活動再開~
東京・品川ステラボールでの岡村孝子コンサートに加藤晴子が出演し「来年は2人であみんの活動をしてみようかなと思っています」と発表。
**───2007(平成19)年────────────── [#iaea2031]
-2007年12月31日:[[第58回紅白歌合戦]]
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