森喜朗 のバックアップ(No.2)



【森喜朗】もり・よしろう(政治家)
誕生日:1937(昭和12)年07月14日
出身地:石川県根上町 
血液型: 型  
本 名:    
学 歴:早稲田大学商学部 
所 属:衆議院・自民党/石川2区 
備 考:    
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───1937(昭和12)年(00歳)──────────

───1938(昭和13)年(00〜01歳)────────

───1939(昭和14)年(01〜02歳)────────

───1940(昭和15)年(02〜03歳)────────

───1941(昭和16)年(03〜04歳)────────

───1942(昭和17)年(04〜05歳)────────

───1943(昭和18)年(05〜06歳)────────

───1944(昭和19)年(06〜07歳)────────

───1945(昭和20)年(07〜08歳)────────

  • 1945年08月15日:第二次世界大戦・終戦

───1946(昭和21)年(08〜09歳)────────

───1947(昭和22)年(09〜10歳)────────

───1948(昭和23)年(10〜11歳)────────

───1949(昭和24)年(11〜12歳)────────

───1950(昭和25)年(12〜13歳)────────

───1951(昭和26)年(13〜14歳)────────

───1952(昭和27)年(14〜15歳)────────

───1953(昭和28)年(15〜16歳)────────

───1954(昭和29)年(16〜17歳)────────

───1955(昭和30)年(17〜18歳)────────

───1956(昭和31)年(18〜19歳)────────

───1957(昭和32)年(19〜20歳)────────

───1958(昭和33)年(20〜21歳)────────

───1959(昭和34)年(21〜22歳)────────

───1960(昭和35)年(22〜23歳)────────

───1961(昭和36)年(23〜24歳)────────

───1962(昭和37)年(24〜25歳)────────

───1963(昭和38)年(25〜26歳)────────

───1964(昭和39)年(26〜27歳)────────

───1965(昭和40)年(27〜28歳)────────

───1966(昭和41)年(28〜29歳)────────

───1967(昭和42)年(29〜30歳)────────

───1968(昭和43)年(30〜31歳)────────

───1969(昭和44)年(31〜32歳)────────

───1970(昭和45)年(32〜33歳)────────

───1971(昭和46)年(33〜34歳)────────

───1972(昭和47)年(34〜35歳)────────

───1973(昭和48)年(35〜36歳)────────

───1974(昭和49)年(36〜37歳)────────

───1975(昭和50)年(37〜38歳)────────

───1976(昭和51)年(38〜39歳)────────

───1977(昭和52)年(39〜40歳)────────

───1978(昭和53)年(40〜41歳)────────

───1979(昭和54)年(41〜42歳)────────

───1980(昭和55)年(42〜43歳)────────

───1981(昭和56)年(43〜44歳)────────

───1982(昭和57)年(44〜45歳)────────

───1983(昭和58)年(45〜46歳)────────

  • 1983年:文部大臣

───1984(昭和59)年(46〜47歳)────────

───1985(昭和60)年(47〜48歳)────────

───1986(昭和61)年(48〜49歳)────────

───1987(昭和62)年(49〜50歳)────────

───1988(昭和63)年(50〜51歳)────────

───1989(昭和64〜平成元)年(51〜52歳)────────

───1990(平成02)年(52〜53歳)────────

───1991(平成03)年(53〜54歳)────────

───1992(平成04)年(54〜55歳)────────

  • 1992年:通産大臣

───1993(平成05)年(55〜56歳)────────

───1994(平成06)年(56〜57歳)────────

───1995(平成07)年(57〜58歳)────────

  • 1995年:建設大臣

───1996(平成08)年(58〜59歳)────────

───1997(平成09)年(59〜60歳)────────

───1998(平成10)年(60〜61歳)────────

───1999(平成11)年(61〜62歳)────────

───2000(平成12)年(62〜63歳)────────

  • 2000年01月:(幹事長時代)「私が農村地に選挙で行きますと、農作業をしている人々が全員家の中にひっこんでしまいまして、まるでエイズが来たかのような嫌われ方で」と、エイズ患者に対して配慮のない発言。
  • 2000年:内閣総理大臣 ───────────────────────────────────
  • 2000年04月05日:就任会見で「支那事変」発言。
  • 2000年04月11日:極秘だったハズの総選挙の日程をインタビューで漏らす。
  • 2000年04月13日:記者団に向かって「ウソを言ってもいいんだろ」と発言。
  • 2000年04月27日:「侵略戦争」発言。 ───────────────────────────────────
  • 2000年05月01日:ヨーロッパ歴訪中、晩餐会で中田英寿に向かって「日本と言うのは日韓の試合で一遍も勝った事がないんですよ」と、トンチンカンなサッカー豆知識を披露して「え?有りますよ」と中田に冷たくあしらわれる。
  • 2000年05月08日:「教育勅語」発言。
  • 2000年05月14日:まだ存命中の引退した元議員を故人扱いにした発言。
  • 2000年05月15日:「日本の国は、まさに天皇中心にしている神の国である」と発言。そのお陰で、その直後に海外に出かけた天皇に対して非難するデモも出る始末。
  • 2000年06月03日:「国体」発言
  • 2000年06月06日:「パソコンが出来ない人間は日陰者」発言。自分も出来ないクセに…。数日後インタビューで「いやぁ今日はちょっと指が痛いよ、昨日メールを打ったりしたもんでさ」などと発言。メールを打っただけで指が痛い?
  • 2000年06月10日:「銃後の守り」発言。
  • 2000年06月15日:演説の場で韓国と北朝鮮の事を「2つの民族に分かれて」とトンチンカンな発言。同じ民族だから問題が深いんだってのを理解していないらしい。
  • 2000年06月20日:選挙戦に関して「関心が無いと言って(有権者は)寝てしまっていてくれれば、それでいいんですけれど」と、選挙投票率が少ない方がいいと発言。
  • 2000年07月07日:沖縄の米兵暴行事件に関して「政府がどうこう言うことではない」と発言。
  • 2000年07月12日:沖縄サミットの事を何度も「沖縄万博」と発言。沖縄サミットに関して「沖縄の子供は君が代を歌わないからダメなんだ」と言う発言をしていた事がクローズアップ。沖縄サミットでテーマ曲を歌わされた安室奈美恵が始終ムッとしてた表情をしていたのはこのせいだと思われる。ついでに「沖縄のマスコミには共産党が入っているからダメ」発言もあり。
  • 2000年07月00日:自分の言葉で喋ると必ず失言になる為に、取材をまったく受けなくなる。
  • 2000年07月28日:失言が多くなったので、渡された原稿を読むだけになった。が、その所信表明演説原稿の「静脈型産業」を「せいみゃく型産業」と読み漢字に弱いことを知らしめ、「IT」を「あいてー」と読み英語に弱いことを知らしめ、ミレニアムを「ミレアニム」と読んだり、多くのギャグを披露する。
  • 2000年09月27日:日韓首脳会談の席でリップサービスで「オリンピックの野球で日本チームが韓国チームに負けてくれて良かった」発言。日本が負けたおかげで気持ちよく逢って貰えると言いたいらしい。ついでに、会談をした場所は森首相の親族の経営する旅館。
  • 2000年09月28日:国会の審議で「密室談合で誕生した新たな総理」と言う発言に対して「まるで密室で私生児のように生まれたと仰いますが、そのような発言は不愉快です」と、私生児蔑視発言。
  • 2000年10月20日:「北朝鮮に拉致された人はパリや北京などの第三国で発見された事にすればいい」とイギリスのブレア首相に言う。そんなとんでもない事を発言したと言う重大性に気付かず「あんな話は誰でも知っている公然の秘密だ」と発言。が、分が悪いと感じ始めると「もともとアレは私が考えた話ではない」と、第三者になすりつける。
  • 2000年10月26日:早稲田ラグビー部OBを強調している森首相だが、ワラビーズ歓迎レセプションで海外から来たチームにおべっかで「日本のチームはあなた方がいる限り、未来永劫カップを永遠に抱くことは出来ないでしょう」などと、日本チームをバカにする発言を・・
  • 2000年10月28日:ワラビーズを観戦に言ったが日本の応援団から帰れコールの罵声を浴びる。
  • 2000年11月00日:国民が森内閣を支持する率が17%と言う、とんでもない低さになるが、日々ラグビーやオペラなどを鑑賞する優雅な生活。
  • 2000年11月10日:自民党内部で森不信任を出すと言う動きが表面化する。それに対して「そんな内部で馬鹿な事をやっているから、支持率が下がるんだ」と、支持率の低下の最もな原因が自分である事に気付いていない発言をする。

───2001(平成13)年(63〜64歳)────────

───2002(平成14)年(64〜65歳)────────

───2003(平成15)年(65〜66歳)────────

───2004(平成16)年(66〜67歳)────────

───2005(平成17)年(67〜68歳)────────

───2006(平成18)年(68〜69歳)────────

───2007(平成19)年(69〜70歳)────────

───2008(平成20)年(70〜71歳)────────

───2009(平成21)年(71〜72歳)────────

───2010(平成22)年(72〜73歳)────────

───2011(平成23)年(73〜74歳)────────

───2012(平成24)年(74〜75歳)────────

───2013(平成25)年(75〜76歳)────────

───2014(平成26)年(76〜77歳)────────

───2015(平成27)年(77〜78歳)────────

───2016(平成28)年(78〜79歳)────────

───2017(平成29)年(79〜80歳)────────

───2018(平成30)年(80〜81歳)────────

───2019(平成31)年(81〜82歳)────────

───2020(平成32)年(82〜83歳)────────

───2021(平成33)年(83〜84歳)────────

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